秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

世界に通じるファーマーズマーケット

いくつかのイベント掛け持ちで動いた週末。いまはなくなったが、活動は続けている、246commonのfb情報で、青山パンまつりに隙間を縫っていってきた。

国連大学ビル前と構内の吹き抜けをつかった、定例の青山ファーマーズマーケットとの共同イベント。
 
9.11の翌年5月。ニューヨークに取材にいったとき、グランドゼロの向かいの公共スペースで毎週末と祝祭日にやっているファーマーズマーケットにコーディネーターに案内されていったことがある。次に訪問する取材先のおみあげに、大判のクッキーとジャムを買うためもあった。
 
ファーマーズマーケットといっても、ニュージャージーの農家の新鮮な野菜を売っているだけではなく、農家の人たちやその関係者がつくった手工芸品、手作りの乳製品、ジャム、はちみつ、クッキーやベーグル、ブレッドも売っていた。

ああ、こういうマーケットが、ここのように、都心部のど真ん中で定例で開催されたら、どんなにかステキだろう…すぐにそう思った。
 
たとえば、軽井沢や蓼科では、別荘やリゾートハウスを持つ人たちを対象にして、手作りの天然酵母のパンやハーブ、ジャム、はちみつといった加工品を地元の野菜と一緒に毎日売っている店がある。
 
だが、当時、まだ、都心でそれをファーマーズマーケットとしてやるところはなかった。

なぜ、私が、ニューヨークのそれをみて、東京でもと思ったか。それは、JAやどこかの大手流通システムではできないイベントだからだ。直接、生産者や手作りの加工品をつくっている人が都心の消費者と市民感覚でつながれると直感した。
 
しかも、都会生活者が喜ぶような、有機食材や手作り加工品…。健康や食の安全に気配りしながら、味はもちろんだが、品質感を上げる、素材や加工品の見立て。それが必要だとも思った。手工芸品でも、フォークロアなものの質感、味わいがほしいかった。

それには、つくり手、生産者のセンスがいる。もちろん、ニュージャージから来た農家のおっさんが、特にそれを磨いたわけでもなく、もともとそうした質感や味わいを当然として、日々生きているだけなのだ。

なぜなら、大量消費の大量流通システムに最初から乗っていないからだ。システムに頼らなければ、個性が出せる。こだわりを主張できる。

質と味、あるいは手工芸の手間暇と品質で勝負できる。もっといえば、それをつくっている人と環境、心意気や精神性で勝負できる。それを伝え、消費者とつながる。
 
大量消費の世界ですら、いまコンビニが取り組んでいるように、そうした要素がなければ、ヒット商品にはなれない。

地方にあるものを都会の平準化した均一さや都会の側からの押し付けで加工するのではなく、あくまで、つくり手や加工を土地の人がすべてをやる。できなければ、土地の人の思いや誇りといっしょにまとめあげる。
 
そうすれば、派手な演出や余計な足し算、掛け算はなくもと、まちがいなくそれを支持する優良で、影響力のあるユーザーが増える。

私にとって、福島県中通りは、将来、そうなってほしい、世界に通じるファーマーズマーケット