秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

至難の命題

昨夜は母校高校の同窓会。あと3年で創立100年を迎える。
 
福岡から出席いただいた校長先生によると、受験前のオープンスクールでは、県内トップの数、1800人の中学生が押し寄せたらしい。

進学が伸びているのが一番の理由だが、同時に女子生徒の制服もかなり人気が高いと昨年の創立記念日の講演のときに聞いた。また、かって、私たちの時代に野球部が甲子園に出場したが、その栄光をもう一度と、体育部の活動もかなり向上してきたらしい。

私は特段、母校というものに深い思い入れがあるわけではない。確かに、いまの私をつくったのは、自分がいた高校の3年間だと確信しているが、もし、母校愛やそこへの郷愁があるとしたら、あの3年間にあるだけなのだ。その前後の歴史や歩みに関心はない。

しかも、その3年間は、ほぼ、自分でつくった自分のための3年間だった。結局、多くの生徒を巻き込んだが、それができたことも大きな財産になっている。
 
とはいえ、高校時代の記憶というのは、多くの人がその後の生活の中で忘れていく。

ところが、昨日の同窓会で1年下のKさんから、「秀嶋さんは、高校時代、相当の数の人の人生を変えていますよ」と、指摘された。

そのKさんの確かな記憶は私にはない。だが、彼は私が高校2年から3年の間にやってきたことをじつによく覚えている。私が、大方、人は忘れているだろうからと、口にすることのないことをじつに詳細に覚えているのだ。

自分で書くのも、気恥ずかしいが、彼の言葉によると、秀嶋先輩は、ギターがうまく、歌が上手で、トークがおもしろく、弁が立つ…そして、自己顕示欲が強いw 高校生だったらしい。

確かに。3年間、あれこれといろいろなことを思いつき、それを実現するために、人を説得し、その意義と使命感を煽り、イベントといえば、裏方をやるだけでなく、あそこにも、ここにもと出演していた。

ステージで歌ったかと思うと、演劇部の芝居で主役をやる。政治的な問題があれば、それについてミニ集会を企画し、自分がスピーカーになる…

それは自己顕示欲と、いまでいう自分好きでないとできはしないのだろうw

しかし、いいわけに聞こえるだろうが、正確には、伝えたい思いや願いがあるから人前に出ていくだけのことなのだ。それをうまくパフォーマンスできる人がいないから、自分でパフォーマーをやっているだけなのだ。

私はそのために、謙虚さのない人間と思われがちだ。そして、また、謙虚さでは、やり貫けないことが多い。

人をまとめるには、自分が自分がでは人はついてはこない。そこには気遣いもするし、配慮もする。だから、出会った人でも自分の考えに共感してくれる人やそれに近い人たちには、声をかけるし、挨拶もする。
 
だが、それが、人によっては、立場のある人と親しげにして、自分を誇示している。あるいは、いいたいことをいうので、生意気にも傲慢にも映る。そう自分が受けとめられているというのは、すぐに直感する。だが、それをやめようとしない。なお、悪印象にもなるw
 
 
このところ、謙虚さを考えている。どうすれば、自分の持ち分を生かしながら、かつ、謙虚だと人が思える言動がとれる自分になれるのか…
 
いくつかの深い傷がある分だけ、それは私には難しい。高校3年間が私にとって、いまをつくるほど、心地よかったのは、謙虚さを振り返ることもなく、自分の持ち分を生かし切れ、かつ、多くの共感と賛同がえられたからだ。
 
それは、いまでも人生でもっとも幸せな3年間だったし、その3年間でやり残した、演劇部のコンクール優秀賞は、卒業したあとにやり遂げた。
 
はて、ギターと歌がうまく、トークがおもしろくて、弁が立つ秀嶋先輩から、そこに謙虚な…を入れるにはどう思いを変えればいいか…
 
至難の命題。