秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

さすらい人の海

昨日は、震災から2年と4か月の月命日。同時に、7月お盆の月。場所によって、8月をお盆とするところもあるが、いずれにしても、通常の月命日とは違う。
 
震災から100日法要も、1年目、2年目の法要も、3月11日には、いわきの薄磯・豊間の海岸にお参りにいっている。

末続、久之浜から勿来に続く海岸線、いわき七浜といわれる、美しい海とうまい魚、その海鮮料理や加工品食品、そして、サーファーや海水浴のメッカとなっていた場所だ。
 
いわきというと映画の影響もあって、スパリゾートばかりが印象に強いのかもしれない。だが、オレは、まだ瓦解した家屋の残る海岸線の集落や破壊された防潮堤とは対照的に、人々のいのちを飲みこみながら、とてつもなく美しい海を見た。

そして行くたびに、このきれいな海で漁もできなければ、海水浴を楽しむこともできないという姿が悲しかった。
 
漁はともかくだが、海水浴やサーフィンは別に禁止されているわけではない。しかし、いまでも、一部サーファーが戻っているくらいで、海水浴は帰ってきていない。
 
地域の集落がなくなっていて、海の家も、民宿や旅館もやっていないのだから、それはムリもない。

東京にきて、最初にいった海は湘南。当時は、湘南は上京したらいくべき海だと思っていた。関東ローム層の土色の海をみたときは、がっかりしたのを覚えている。
 
それからは、白砂のある伊豆半島のあちこちの海で遊んでいた。だが、小型船舶一級をとってからは、湘南の海にいくのが常識になった。登録しているボートハウスが片瀬江の島にあるからだ。
 
湘南の海の家は、すっかりアメリカの西海岸のような姿に変わり、昔のように芋の子の洗うような海水浴場でもなくなってきている。水族館もリニューアルされて、いまでは、ちょっとしたリゾートタウン。江の島にあるenospaは、お薦めのデートスポット。
 
クルージングと釣りくらいでしかいかないので、海で泳ぐことはない。もし、泳ぐのだったら、やはり、いわきのようなきれいな海だ。伊豆にいかなくても、こうした場所があることをもっと若い頃知っていれば、きっともっと、いわき七浜への思いは違っていただろう。

被災した、いわきの海が好きになってしまったのだから。そうではなかったら、きっともっとはまり、そして、それが変わってしまったことをもっと嘆いただろう。
 
生れが福岡…ということもあるのだろうが、夏は海。生活のどこかに、海…。それがあるから、オレはさすらい人のように、オレの海を探し続けているのかもしれない。