秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

制作者の鎧

進めなくてはいけない編集になかなか取りかかれない。
 
来月の連休に実施する福島応援学習バスツアーの募集に向けた、勧誘や紹介案内に追われていることもある。
 
例年なら、この頃からまとまった注文が入ってくるDVDの動きがわるく、やきもきさせられているのもある。
 
だが、ほんとのところは、あの時間に戻ることにためらいと躊躇があるからだ。あの時間というのは、いうまでもなく、3.11から約6か月間の海岸線の状況…

そこに生活してきたわけではない、私がそう感じるのだから、現実に、そこに暮らしていた人々、そして、そこから去っていった人々、また、そこにいつづける人々が、いかに心の奥に、さまざまな痛みや無念…そして、忘れたい記憶と忘れたくない記憶の谷間で揺れているか、わずかばかり感じることができる。

これは、海岸線だけではなく、家屋の倒壊が多く、震災直後から高い線量に苦しむことになった中通りも、また、風評によって観光をはじめ、大きな打撃をうけている会津も同じだ。

一瞬にして、これまでの生活が奪われ、変わる。ただ変わるだけでなく、放射能という、そこに暮らすことの困難とずっと生きなくてはいけない宿命を背負う。

それによって、人々が受ける、心、精神、あるいは肉体に受けるダメージは計り知れない。

とりわけ、私のように、定住の地がなく、過去の連続性を生きていないような人間と違い、生まれたときからその地域、あるいは、その家で生き、地域の輪の中で、成長してきた人々には、ずしんとそれは重い。

それらを含めて、あの時の時間に戻るのに、ためらいが生まれている。
 
だが、ほんとは、私が、この3年と半年の中で、そうした人々と出会い、深く知り、たくさんのつながりを持ってしまったことが、ためらいという足かせを与えている。

どこかで制作者としての立ち位置から、その人たちとのつながりやふれあいへ位置が変わっているからだ。もちろん、当時、あの時間を編集したときも、心にいろいろな思いがよぎっていた。
 
しかし、いまでは、それがより、私には現実になっている。そして、また、あの時間から3年以上が経過する中で、変わっていったものも見えているからだ。
そこには、美しいものもあれば、そうではないものもある。いや、そうではない、人間の業のようなものの方が多いかもしれない。

それも編集で、あの時間に戻れば、経過の変化と共に、いまある現実へのいら立ちとそうならざるえない生きる現実の両方が私に迫る。
 
それを制作者という鎧でかわすには、私は、いま思いが福島に近すぎる。わずか3年と半年だが、その分、私が歳をとって弱っているのかもしれない。
 
だが、制作者の鎧は脱ぎ捨てるわけにはいかない。まだ、つくらなくてはいけないものがある…。