秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

みんな生きている

震災のあったこの時期…
 
震災から1か月ほど経った頃。そして、100日法要、翌年の11日、そして昨年の11日。私はひとり、薄磯の海岸にいた。
 
この前後、いろいろな催しや活動がある。すべてではないが、そのいくつかには可能な限り顔を出していた。薄磯、豊間、久ノ浜には、この時期、呼ばれもしないのに、立ち寄っていた。
 
だが、今年は、そうした活動に時間がとれるのは、どうやら3月20日を過ぎた頃になる。
 
すでに郡山を訪ねる約束もあるが、中通、会津へも足を運べていない。3月末から4月にならないとそちらへは立ち寄れないだろう。

いつものことながら、監督・脚本だけでなく、プロデュースもやるので、作品が終わったからといって体が浮かない。とりわけ、今回の作品は、通例のDVDリリースもするが、そちらが主眼というより、映画作品としての比重が大きい。
 
その分、英語字幕版制作、ポスター制作といった作業のほか、映画祭コンペディション参加のための映像データ、資料づくりなど、普段より終わったあとの仕事が多い。
 
だが、そうした不義理やルーティンができなくても、その分、この映画に時間と思いをつぎこんでいいと考えている。
 
それは、3年にわたる私をはじめ、仲間たちとのMOVEの活動がなければできなかった作品だからだ。そして、作品制作に尽力していただいた、被災したみなさんの思いも、この中に生きていると確信しているからだ。

そして、私が薄磯のあの被災の現実をなにかに導かれるように見たのは、この作品をつくるためだったと心から思えるからだ。
 
作品に不満や不足はある。もっとしっかり演出をつけるべきシーンも、粘るべき場面もたくさんある。自分の力不足や資金のなさに忸怩たる思いもある。決して、十全とはいえない。
 
だが、スタジオで、もう一回撮り直し!…という気持ちになる作品はそうない。失敗をつくろうためではなく、もっといい作品にしたいと思うからだ。そう思える作品はそんなにはない。
 
作業上、私たちは作品をスタジオで何度も観る。だが、その度に、私も、スタジオスタッフも、涙をにじませた作品はいままでになかった。
 
自己満足の涙ではない。作品の向こうに、被災し、いまを生き、いまを手探りし続ける、人々の顔や姿がみえるからだ。それは、主要場面をすべて、被災地で撮影したことが大きいと思っている。
 
そして、作品が被災地の映画でありながら、それを越えて、だれもが経験する喪失と再生のドラマになっているからだ。
 
 
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