秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

みなトーク

もともと港区にこだわりがあったわけではない。

ただ、高校生の頃からIVYにはまり、その情報発信基地だった青山は素通りできない町になった。折しも、当時、青山には最先端の文化を発信する店舗やホール、出版社といったものが次々に登場していた。

その一方で、戦災を逃れて古くからある店や文化施設東京オリンピックの道路整備で店舗や屋敷を削られながら、昔ながらの風情のある路地や家屋も残っている。

同時に、下町の風情が漂う芝の古い商店街や三代、四代と続く商店や飲食店のある赤坂の歓楽街もある。

だから、古くからそこに住む住民も少なくはない。

とはいえ、港区は東京23区の中でも最も高齢化が進み、小学校は1学年30人1クラスしかならない。廃校になった学校もある。都心のど真ん中の高級住宅地でもあり、高層マンションも多く、どうしても収入に限界のある若い世帯は流入しにくい。

北青山団地など高度成長期にできた都営住宅は、郊外の団地と同じように、高齢化で繁栄期の3分の1の住民しかおらず、孤立死もある。建物も老朽化している。

私は福島の取り組みをやるようになって、港区のことを強く意識するようになった。それは、福島から原発の電力をもらい、都市の生活を支えてもらっていた私たちが福島のためにできることを通して、都市の在り方を見直そうと考える契機をくれたからだ。

だが、それ以上に、東京の中心地である港区こそ、福島を世界に発信するかっこうの場所だと考えるからだ。大使館の多くがある。全テレビ局がある。そうしたこと以上に、福島、地方が抱える課題は大都市と地方の違いこそあれ、港区が抱える課題と本質において遠くはないと感じている。

生活課題を通してつながることができれば、そこは互いの第二のふるさとにすることもできる…私はそう考えている。

今日、港区議のYくんが主宰する「みなトーク」に初めて参加してきた。学生を中心に、20代の世代を中心とした集まり。そこで彼らは、真剣にアイディアを出し、自分の町として港区でできることを考えている。

大都市だからという安心やそれに甘える姿勢はない。その姿は、私が知る自分たちの町、村の産業をどう新しくするかを考える福島の若い力と違いはない。

こうして彼らが、未来について語れる時間、社会や地域のために思考し、これからできることに自由に挑戦できるチャンス…それは、ひとえに、平和ないまがあるからだ。

それを守るのはこれからを生きる彼らであると同時に、私たち世代の責任でもあるのだ。

こんな心根の美しい若者たちを大人の利己やメンツのための犠牲にしてはならない。私たちのツケを、負の遺産を背負わせてはならない。