キンモクセイの心の執着
もう世の中は、年末の催事の準備や話題が出ている。
ご存じのように、ファッションでは、冬場に春物が出て、春には夏物、そして夏には秋冬。秋には冬、気の早いところは翌年の春の新作が出てくる。
私のように、いまを生きるのに精いっぱいの人には、想像できない先駆け、先走りだ。
なぜ人はそんなに急ぐのだろう。なぜ人はそんなに先回りをしたくなるのだろう。
いまという季節やいま目の前にある課題や取り組むべきことに懸命であれば、それでいいだろうに…。それもやりながら、先の先にも手をかけ、足をかけ、ツイスターゲームのような姿勢になって、汗を流しながら、必死でなにをつかもうとしているのだろう。
ご存じのように、ファッションでは、冬場に春物が出て、春には夏物、そして夏には秋冬。秋には冬、気の早いところは翌年の春の新作が出てくる。
私のように、いまを生きるのに精いっぱいの人には、想像できない先駆け、先走りだ。
なぜ人はそんなに急ぐのだろう。なぜ人はそんなに先回りをしたくなるのだろう。
いまという季節やいま目の前にある課題や取り組むべきことに懸命であれば、それでいいだろうに…。それもやりながら、先の先にも手をかけ、足をかけ、ツイスターゲームのような姿勢になって、汗を流しながら、必死でなにをつかもうとしているのだろう。
もちろん、わかっている。そのサイクルに乗ることことが損益を出さないための基本とする社会に私たちが生きているからだ。そのような社会をつくり、それをよしとする社会にしてきたからだ。
また、そのようなサイクルから外れていると、自分だけが取り残される不安があるからだ。現実に、のんびりしていると、手に入れたかったものが入らなかったり、集おうとした場が満杯だったり、催事の仕込みが間に合わなかったりする。
全員がせいのでそっちへ動くのだから、当然、パイがなくなる。だから、だれもがパイを奪い合うようにして、先へ先へと急ぐ。
みんな時の流れの中心にいたいのだなと私は思う。だが、それだけが本当に時の流れなのだろうかと私は思う。
確かななにかひとつさえあれば…いつものように日々を生きて、いつものように次の季節を静かに迎えて、脇の片隅でもいいから、その季節や催事を楽しめるのではないのだろうか…
全員がせいのでそっちへ動くのだから、当然、パイがなくなる。だから、だれもがパイを奪い合うようにして、先へ先へと急ぐ。
みんな時の流れの中心にいたいのだなと私は思う。だが、それだけが本当に時の流れなのだろうかと私は思う。
確かななにかひとつさえあれば…いつものように日々を生きて、いつものように次の季節を静かに迎えて、脇の片隅でもいいから、その季節や催事を楽しめるのではないのだろうか…
というのは、どうもいまはダメらしい… 割りを喰って、そういう人には、脇の片隅すら与えられないらしいw
というので、東映に急かされに、急かされて、今期制作の次の作品の打ち合わせw
私は子どもの頃から、雲をみれば、ずっと雲の形がなにかに見えて、見続けていられた。なにかが心を占めると、ずっとそれを考え続けることができてしまう。
私は子どもの頃から、雲をみれば、ずっと雲の形がなにかに見えて、見続けていられた。なにかが心を占めると、ずっとそれを考え続けることができてしまう。
それは私のような仕事にいいこともあれば、よくないこともあるらしい。
だけどね。青山界隈はこの時期、キンモクセイがたくさんあって、いい香りがするんだよね…この時期にしか楽しめないそれがもったいないよ。ひとつことが心に占めるから、いい作品だってつくれるのに…
だけどね。青山界隈はこの時期、キンモクセイがたくさんあって、いい香りがするんだよね…この時期にしか楽しめないそれがもったいないよ。ひとつことが心に占めるから、いい作品だってつくれるのに…
と、子どものようなことは東映にはいえなかったw
人には、だれにもいえない、心の執着がある…