秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

大きな問題

昨日は、今回、いつも以上に、制作準備段階でお世話になった東映本社へ。
 
映画が一通りの制作作業を終えて、上映会へと移行したところで、制作協力の御礼と東映本社での上映会調整のためだ。ついでに、今後の事業のあり方、進め方についても意見交換してきた。
 
折しも、すぐ近くの数寄屋橋次郎でVIPの会食があるというので、午後から始めた打ち合わせを夕方には切り上げ、銀座を離れる。それでも、久しぶりに、かなり突っ込んだ意見交換。
 
映画や映像業界に限らずだが、団塊世代が社会や組織の一線からリタイア、または後方支援にまわって約5年。停年延長や嘱託契約で残っていた人たちも今年でほぼいなくなる。
 
それに続いて、団塊後の私たち世代が停年と後方支援世代になってきた。しかし、それも早ければあと1年、長くても2、3年というところになっている。
 
ところが、空白の20年があるため、組織によっては、50代前半の人材がいない。いきなり、40代中ごろから30代後半の世代が主要管理職や重要役職につくという場合がある。
 
ベンチャー企業なら不思議はないし、33歳で取締役になった私からすると、それもありなのだが、いまその当りに人材がいるようでいない。また、そこをサポートできる50代がいない。処理能力や情報はもっているし、業務もITも卒なくこなす。人柄も悪くない。
 
だが、企画やプロデュースといった立案からとりまとめ、そして実現のための交渉調整能力にたけた奴が少ない。要領はいいが、斬新さや創意工夫に欠けている。
 
つまり、金の計算やありがちなことはやれるが、これまでになかったようなことをやるとなると、逆に、団塊世代並みに頭が古い。新しいことをやっている風で、どこかでみたような、あったようなことの物まねをするところまで似ている。
 
映画業界ではクリエーティブな現場を担う制作マンの世代は、若手の監督や脚本家が出てきているように、世代交代が進んでいる。だが、肝心の企画やプロデュースの面ではそれが立ち遅れている。

確かに、私たちの仕事は、結果がすべて。いくらいい作品をつくっても、それが売れなければ意味はない。だが、これなら売れるだろうと亜流を追っても本流にはなれない。
 
見えないものを売る仕事だ。しかも、その見えないものは人の心へじかに届けるものだ。そこに、数字が先にあっては話にならない。だが、結果として数字がついてこなくてはいけない。矛盾する作業であり、仕事。それが私たちの生業の本質だ。

だから、人心というものの見極め、人心の中にある隠れた思いに目が届かなくてはいけない。とはいっても、そこに過剰に迎合すれば、作品をこわす。つくり手としてのあるべき姿を失う。
 
それらの塩梅やさじ加減は、やはり、いくつかの世代がかかわってこそ、初めてできる。
 
同世代、同じ年代の人間が集まるともちろん楽しい。話も早い。だが、そこには検証や複眼の視点がない。それがなくなってきていることに大きな問題がある。
 
町や村も、地域も、都市も、偏った世代だけで構成されるようになって、おかしくなってきているのだ。