秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

湯布院の誇り

たとえば、湯布院。もとは、別府温泉の繁栄の陰に隠れたさびしい温泉町だった。
 
別府温泉は、他県や都市部から来る人にとっての遊興と歓楽の街づくりを高度成長期の勢いに乗って驀進した。だが、その男性中心の団体集客を中心とした誘客がやがて裏目に出る。
 
また、客が来るということに安住して、別府温泉でなければならないという独自の魅力の創造、発掘をしてこなかった。
 
風俗が闊歩する温泉地の典型のような大規模温泉街は、団体客の激減が大きく響く。当然ながら、修学旅行地としての質にも応えられなくなる。まして、付加価値を求め、単価率の高い優良な家族やカップル、グループ客は最初から、そうした温泉地を避ける。

時代推移と人々の嗜好性の変化。それに別府は敗北したのだ。

それとまったく、逆の道を歩んだのが湯布院だった。

だが、最初から湯布院がいまのように洗練さに誇りを持っていたわけではない。別府温泉の繁栄を垂涎の目でみていた。
 
湯布院には湯布院の生き方がある。ひとりの呼びかけが、次第に大きな輪となっていった。他の観光地や温泉町になりたいのではなく、湯布院になるということだった。

ひなびた温泉なら、そのひなびた空気感を大事にしよう。どこにでもあるような京都を真似したような、エセ懐石ではなく、地元の食材を使った無骨でもいいから、他では口にできない食を提供しよう。

知名度の低さ、立地の悪さ、不便さ、無骨さ、荒削りな自分たちの地域の現実を魅力的にするには、どうしたらいいのか。それは否定からではなく、肯定から始めることだ。
 
そして、できるだけ地域の色合いを残しながら、それを極めていくことだ。
 
それに地域全体が目覚めたとき、他にない、湯布院ブランドが誕生した。何か月またされても、いきたいと思ってもらえる客を獲得していく。
 
今日、郡山の有名ホテルの営業支配人のIさんとコンベンションビューローのUさんと話しながら、郡山を起点しとしながら、まだ全国的には知名度の低い、桧枝岐村や大内宿をつなぐ話になった。
 
湯布院では、地鶏のおいしい店に入ると、そこに地域の名産や他店の案内、観光地の紹介がしてある。しかも、店を出るとき、「明日は、〇〇〇にいったらどうですか? お肉好きなら、おいしい和牛が食べられますよ」と、声をかけられる。
 
自分の店の宣伝ではなく、他の店の宣言をするのだ。
 
魅力を持ちよりながら、ひとつの世界をつくる。しかも、都市的なものではなく、地元でも愛されるものを、無骨なりに、荒削りなりに、自分たちのセンスで磨いて、提供する。

そこにしか、地域、地方が、私たちは〇〇です。と胸を張れる誇りは育たない。
 
湯布院はいいところ。それは、そこに、湯布院の誇りがあるからだ。だが、それは、探せば、どの地域、どの地方にも必ず、ある。

都会の真似事をする前に、それに目覚めたところが、本当の意味で都会に受け入れられるのだ。