秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ダダこねてみた

もうどうだろう。いい加減、やめにしたら。
 
オラが村や町にマスコミがなにかで取材にきたからと大騒ぎするのは。物珍しさや話題性づくりに追われて、本来の自分たちの魅力やすばらしさをすり減らすのは。
 
もうどうだろう。いい加減、終わりにしたら。
 
オラが宿や村や町がJRやJTBにこびうって、規模や力ばかりを当てにして、判で捺したような、どこにでもある集客で乗り切ろうとするのは。
 
京都や関西、関東の有名料理店に出てきそうな、それでいながら、それには遠く及ばない、のようなもを出して、団体客やツアー客を求めるのは。

自分たちにしかないもの、自分たちの地域にしかできないこと、自分たちだからやれること…それをもっと自信を持って見直し、誇りを持って提供したら。

荒削りでもいい。いや、物によって、出来事によって、それは荒削りで、田舎っぽくて、ダサくって、かっこわるくて、いままでは、こんなものが…そう思い込んでいたものが、じつは、とても貴重で、なつかしくて、いやしてくれて、温かくて、うれしくて、かけがえのない、大切なもになる。

それを信じられれば、それを磨いて、鍛錬して、みんながふれたい、見たい、食べたい…そう思えるものに、味わいや風情や地域らしさといったものを見失わずにやれば。
 
そこには、いきなり大勢の集客や人のにぎわいは、ないかもしれない。

だが、絶対のファンが、絶対の確信で、いずれ多くの人やものを連れてくる。だれかの力を借りてもいいが、主役は自分たち自身なのだ。なにかの力を当てにしたりせず、支援や援助ではなく、共に協働して、対等の立場で互いを尊敬し、尊重し、つくっていくことはできる。

もうどうだろう。いい加減にやめにしたら。
 
地元選出の国会議員や地元の政治家に利権や都合を求めて、力を頼むのは。

たかりをやれば、いずれたかられる。政治家の力を頼むではなく、意見をいえばいいのだ。こうあるべきでは、かくあるべきではと堂々と問題提起すればいい。
 
もうどうだろう。いい加減終りにしたら。
 
行政の力ばかりを頼み、商工会議所や青年会議所をあてにして、地域づくりや地域おこしをやっているのように勘違いするのは。

そんなとこにかかわれるのは、地域のごくわずかな人間でしかない。若い奴だけでなく、お年寄りも子どもも一緒になってつくるのが地域おこし、地域づくりというのだ。

自分たちだけのにぎわいをつくれば、必ず、そこに取り残されていく人たちがいる。
 
地域づくりや地域おこしは、その取り残されている人をどう掘り起し、かかわりを持っていくかということなのだ。

もういい加減にしたら、どうだろう。この国のアホな政治家や政党に好き勝手に、大切なこの国をいじらせるのは。

と、今日は、ちょっとダダこねてみた。