秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

大事な時間

大事な時間。それは与えられるものでもなければ、あるとき突然にやってくるものでもない。
 
つくりあげていくものだし、育てていくものだ。

なぜなら、大事な時間のほぼすべてが人とのかかわりの中でしかつくられない。つまり、大事な時間は時間の問題ではなく、人とのかかわりをどうつくり、育てようとしているかの問題なのだ。
 
たとえば、私は、仕事で、どうしてもひとり作業の時間が必要になる。企画、台本制作、あるいは、編集作業というのは、それ自体の作業は孤独なものだ。だが、そこに人はいなくても、格闘しているのは、人をどう描くかということ。
 
ひとりで作業しながら、そこには紛れもなく人がいる。そして、私には、本をつくるという仕事が大事な時間になる。

ましてやそうした作業に入る前には、人から話を聞き、その心情や思いや願い、場合によって、つらさに耳を傾ける。必要なときは50人以上を越える人に取材することもある。

オフィスで働く人々がデスクワークをしていて、たとえば、なにかの見積書をつくる。それも、それを受け取る側の人たちのことを数字とは別の何かに当てはめながら、作業をしている。

提案書をつくるといった作業でも、その提案書をつくるために、仲間やチームと議論したいろいろな考え、その考えを持つ人を計算に入れている。まして、それを見せるだれか、あるいは相手先の人がつくる組織や集団を計算に入れながら考えている。

そして、それは商売やビジネスとして、大事な時間のはずだ。

人を思い、人を考え、そのかかわりやつながり方を大事にする。だから、商売であれ、ビジネスのプロジェクトにせよ、ただ、仕事と割り切って、だれの顔も姿も浮かべないものは、血も通わなければ、心もこもらない。

ただ、手前の利益やなにか即物的なものだけを求めるものになってしまう。それは結果的に、人を満足させることはできないし、喜ばれることもないだろう。

大事な時間を持たない人は、人を大事にすることもできなければ、人と心を通わせることもできない。それは、プライベートな時間でできなければ、仕事の中でもできはしない。

確かに。自分がいろいろに心を砕き、思いを込めても、大事な時間、心を通い合わせられる大切な時間に育たないこともあるだろう。少しずつしか育たないこともあるだろう。

だが、思うようにいかなくても、大事なものにしたいなら、そのための時間を惜しまないことだ。時間を惜しむということは、その思いも惜しんでいることになる。

惜しまず、尽くす。その姿でしか、人とのかかわりを大事な時間、大切な時間にしていく術はない。