秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

強欲

毎年のように…いや、数か月ごとに、さまざまな自然の驚異がこの国を襲っている。

正確にいえば、この国だけではなく、地球のいたるところで、自然の力が人々を襲い、あるいは、これまでと異なる変化の予兆が人々に動揺や不安を掻き立てている。

自然とのかかわりをどう生きるか…その大事なことを私たちはおろそかにしている。いや、地球規模の環境会議やCO2の排ガス規制、自然再生エネルギーの開発など、いろいろな取り組みを地球規模でやってる…多くの人はそういうだろう。

だが、原発はいうまでもなく、自然をおろそかにしないといいながら、現実には、生産と消費をより高め、富を得ることを幸せの基準、尺度としている限り、その取り組みは、結局、延命処置に過ぎず、自然を蝕む。

経済の豊かさだけを幸せの尺度としない、これまでとは異なるパラダイムへ。その大転換の必要性を感じながら、それができない。

人類が欲深い存在である限り、自国の繁栄や国家間の競い合いがある限り、この大転換は、いつまでも総論賛成、各論反対の域を出ないのだ。

その結果が、現在のような資源の枯渇や環境の破壊、地球規模の自然の驚異を生んでいる。

私は思う。明日にでも他国が攻めてくるような危機幻想をあおり、答弁にもならない答弁を繰り返し、愛国だの、自国の安全など軽薄で、流儀もない議論をやっていることの、なんと矮小で、小賢しく、偏狭なことだろう。

大規模地震ひとつで、この国は、その機能の多くを失い、原発事故は向こう50年福島の人々を苦しめる人災となった。そこへの反省や対策もないまま、仮想敵をあおり、そのために危険を冒す…考えるべき安全保障は国の中にこそある。

自然とのかかわり方そのものを見直すことを第一義とすれば、おのずとそれぞれの国々が、仮想敵をつくることの愚かさやそれによって生まれる自然破壊の大きさに気づけるはずだ。

自然の前では、どのような国であろうと、この地球では無力であり、運命共同体なのだ。

すべての議論をそこから始めることができば、憲法を無視した安保法制などが、国の大事ではないこと、世界の大事ではないことがわかる。

戦争の危険を冒すよりも、平和のための危険を冒すことの方が、どれほど運命共同体、地球を守ることになるだろう。高邁な理想、夢物語だと大人のふりをした夢も希望も未来の理想も描けない人たちはいうだろう。

だが、その夢のなさ、理想の欠如、それが生み出す強欲が、いまのこの地球をつくっている。