秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

広げる力

年齢を重ねても世界が見えない人はいる。だが、若いからとって世界が見えているわけでもない。
 
年齢にかかわらず、人とのかかわり方、社会とのかかわり方、あるいは組織の運営の仕方といったものが苦手、あるいは、ずさんな人が増えている。つまり、世界が見えない人が多くなっている。
 
ここでいう「世界」とは、全体が見えるということであり、事例・実例・前例の抽斗をたくさん持ち、自分という存在や自分かかわわる家庭、仕事、生活において、どれだけ多くの他者の視線をもてる広がりがあるかということだ。

事例・実例・前例といった抽斗をたくさん持つためには、学習をしなくてはいけない。学習したことを実験、挑戦しなくてはいけない。そして、ただ、やればいいのではなく、成果を検証し、客観的な他者の評価から反省し、学ばなくてはいけない。

そして、改革や刷新といった変革を起さなくてはいけない。事例・実例・前例とは新たな何かを生み出すためにあるのだ。だから、ただ形ばかり新しければいいのではない。
 
私は、こうした世界を広げるためには、理数の脳の働きがいると思っている。また、学習したもの、実験したもの、成果の検証のためには、言葉、文章、つまり表現力、国語力が必要だと確信している。
 
なにかのプロジェクトをやるときに、事業計画書や予算書が必要であり、その報告書が必要なのは、これらがわかっているからだ。アンケート調査や事前調査といったものが必要なのもそのためだ。会計報告も事業報告もそのためにある。
 
そうしたことをはしょったり、適当にやっていると、こうした力が身につかない。

身に付かないということは、世界が広がらないということだ。人の言葉やその場のノリ、流行りに翻弄され、世界はいつまで経っても限られた狭いもので終わる。
 
結果、人のつながりに広がりが生まれない。信頼も広がらない。
 
この世にはいろいろな職業や立場の人がいる。どのような職業や立場の人が眼の前にあっても、あるいはそうした出会いがあっても、まったく慌てることもなく、動揺することもなく、威風堂々といられるのは、この鍛錬のできている人だ。
 
肩書や社会的な地位や富や資産といったものに振り回される人は、この鍛錬のない人だ。
 
振り回されない人であるために、自分の「世界」を広げなくてはいけない。ただ、知り合いを増やすのでなく、人の肩書にすがるのではなく、また、それを利用するのではなく、振り回されないために、振り回されているものに執着しない自由を勝ち取ることだ。