秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

身の処し方

地域には地域の身の処し方、作法というのがある。都会には都会の身の処し方、ルールといったものがある。
 
それを知ったのは、大学と芝居のために上京してすぐのことだった。
 
都市的な場と地域的な場では、人との距離の取り方やつながり方が違う。私は、福岡市でもどちらかといえば、都市的な空間に生まれ育ったせいか、幼い頃から地域的なつながりが苦手だった。

上京して水を得た魚のようになれたのは、それがあったからだ。ふるさとらしきものは、福岡の天神や黒田城、そして大濠公園と海、そして、当時、自宅のあった高宮。
自宅もなくなったいまでは、帰るふるさともなくなっているw

東京に来て楽だったのは、いろいろな地方から人が集まってつくられた町ゆえの、そこはかとない互いへの遠慮や配慮だった。いくら、東京生まれといっても、その親やまたその親の代になると、地方から上京してきたという人は少なくない。

人が集合する場で、互いの地方色を強く主張するのではなく、譲りながらバランスをとる…それが体質に合っていた。

ガツガツと人の中に入ってこない。東京でも、互いの距離の近い下町ではそうでもないだろうが、私には、ある境界線を意識した東京の姿は心地よかった。

互いが親しくなって、軽口やけなしといった言葉を使っていても、どこかにそっとしたケジメがあった。

一方で、地方では距離が近接し、人とのつながりが幾重にもつながっているために、ひとつ評価やウワサといったものが広がるとあっという間だ。
 
そのために、対立や議論を避けるという悪しき一面もある。まぁまぁでなんとなくまとめるという悪しく癖もある。だが、それがまた、距離と縁が深く、近い分の緩衝にもなっている。

よく、地方や地域の事情に、整然とした理屈や理論を持ちこみたがる人がいる。都市的な整然さや美しさを求める人がいる。はっきりいって、それは地方の事情や生理がわかっていない人たちだ。

なあなあは決してよくないが、地方では一度口にした言葉はそう簡単に消えない。また、一度持たれた印象は簡単にはぬぐえない。

私がMOVEを立ち上げたときも、その活動を推進するうえでも、こだわり続けていることはそれだ。信用や信頼をえるためには、一度口にしたこと、言葉にしたことに責任を持つ。
 
それがなければ、決して、地方、地域で支持も信頼もえられない。

都市と地方の距離がいい意味でも、よくない面でも近くなった。それが、地方は地方なりの身の処し方、都市は都市なりの身の処し方を人々から忘れさせている。