秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

絶対的なファン

福島、そして地方にとっていま必要なのは、その地域の絶対的なファンを都市部だけでなく、全国、世界につくることだ。
 
あえていえば、福島全県でなくてもいい。会津地方のある地域、中通りのある業者、ある生産者、あるいは加工業者、旅館経営者でもいい。いわき市全市でなくてもいい。久ノ浜のある店でもいい。平や小名浜、遠野のある業者でもいい。
 
そして、そこに生きて地域の伝統芸能や地域の人のつながりを軸とした太鼓や舞踊の集団でもいい。その絶対的なファンをつくることだ。
 
同時に、その絶対的なファンの方の生活する地域、それも県単位でなくても、市単位でなくてもいい。ある町、ある限定された町内会でもいい。絶対的なファンになってくれたその人を軸に、今度は、その地域の絶対的なファンに自分たちがなればいい。
 
その「人」の交流を相互に行いながら、消費を共有する。人のつながりを深め、それが核となって町全体、市全体、そして県全体と広がり、行政区画を越えた人のむすびつきが、最後には行政区域へと循環するようにしていけばいい。

個のつながりが、やがて、地域のつながりとなり、それがこれまでの地元といわれた限定された共同体から、時間と距離を越えた、新しい共同体ネットワークとなっていく。

それこそが、中央、都市だけに頼らない、地域の自立した連携と地域間連携による新しい街づくり、地域づくりにつなかっていく。
 
当然ながら、そこにはいろいろな現実の課題や人間の思惑、やっかみや妬み、情念のようなものが行く手を阻むだろう。地域へのこだわり、行政区としての制約があるだろう。行政に頼り、行政に依存すれば、そうなる。国政の動向に依存してもそうなる。
 
これまであった地域共同体のしがらみや慣習を無視しろとはいわない。だが、それを丹念に説得し、意義と意味を伝え、自ら無私でこれに取り組めば、時間はかかっても、その思いはかならず伝わっていく。

それ以外、現実論として、制度を変えようが、システムをいじろうが、地域が自らの手で地域を育て、守り、変革し、これまでのような中央依存、大企業依存から抜け出す道はないだろう。

そして、また現実に、そうした萌芽は全国の地方の至るところに生まれつつある。画一性と同調からの離脱。それは確かに勇気もいれば、熱意も、志もいる。並大抵のことではない。しかし、それに挑もうとする人は確実に増えている。

その集合基地として、これはある。まだ、実際の稼働には及ばない。だが、バグジーが砂漠にラスベガスを拓いたように、それはきっと姿、形を自ら整えながら、地域間連携と再生、新生のステージとなっていく。
 
なぜなら、ここに結集している多くの人が、それを理解できているからだ。