スイッチ
いろいろなスイッチがある。
たとえば、作品をつくるという仕事には、創作というスイッチがあり、なにかを生み出す創造モードへモード変更しないと脳が働かない。アイデアも浮かばない。
別に、創作とか、作品とかいったことではなくても、仕事モードや〇〇モードという言葉があるように、何かの責任や義務、あるいは使命といったものを果たすには、そのモードに入らないと作業ははかどらないものだ。
あるいは、感情においても、いろいろなスイッチがある。
あるスイッチがはいると、人を恋するようになる。また、別のあるスイッチが入ると、人を嫌ったり、憎んだり、恨んだりするようにもなる。
また、人生の流れでも、いろいろなスイッチがある。
あるいは、感情においても、いろいろなスイッチがある。
あるスイッチがはいると、人を恋するようになる。また、別のあるスイッチが入ると、人を嫌ったり、憎んだり、恨んだりするようにもなる。
また、人生の流れでも、いろいろなスイッチがある。
いい流れというスイッチもあれば、悪い流れというスイッチもある。
いままで調子よくいっていた、身の回りのことが、あるとき、ある瞬間から、思うようにいかなくなる。逆に、こんなにうまくいかないのかというのが、あるとき、ある瞬間から好転するということもある。
だが、問題なのは、そうした、いろいろなスイッチが自分の意志や決意だけで入る、入らないが決まらないということだ。
作品の締め切りや仕事の締め切り…作業に終わりが設定されているのは、このスイッチを入れざるえなくするための仕組みだ。
もっといえば、人生に死という終りがあるのも、そのための仕組みだ。
いい死を迎える生き方というのは、わずかばりの人生や折々の感情を幾重にも生きるということなのかもしれない。いくつものモードを持ち、その締切を自ら設定し、多様に生きるということなのかもしれない。
あるいは、だれかに設定され、なにか見えない力に設定し直されながら、それを生きることで、いい死をつくっているのかもしれない。
笑い、泣き、喜び、苦しみ、悩み…自分の意志だけでは、コントロールできないモードがいくつもあるおかげで、私たちは、よりよいスイッチのありかを探している。
だが、それがなかなか見つけにく時代になった。よりよいスイッチというものが何なのか、見えなくなっているからだ。
じつは、スイッチは自分の生き方や姿勢、物事への向き合い方次第で入る入らないが決まっているのかもしれない。それに気づかない間は、よりよりスイッチというものがなにかもわからない。
迷い、さまよい、揺らぎながら、人が生きている。その揺がぎが、よりよいスイッチを人から遠ざけている…
もっといえば、人生に死という終りがあるのも、そのための仕組みだ。
いい死を迎える生き方というのは、わずかばりの人生や折々の感情を幾重にも生きるということなのかもしれない。いくつものモードを持ち、その締切を自ら設定し、多様に生きるということなのかもしれない。
あるいは、だれかに設定され、なにか見えない力に設定し直されながら、それを生きることで、いい死をつくっているのかもしれない。
笑い、泣き、喜び、苦しみ、悩み…自分の意志だけでは、コントロールできないモードがいくつもあるおかげで、私たちは、よりよいスイッチのありかを探している。
だが、それがなかなか見つけにく時代になった。よりよいスイッチというものが何なのか、見えなくなっているからだ。
じつは、スイッチは自分の生き方や姿勢、物事への向き合い方次第で入る入らないが決まっているのかもしれない。それに気づかない間は、よりよりスイッチというものがなにかもわからない。
迷い、さまよい、揺らぎながら、人が生きている。その揺がぎが、よりよいスイッチを人から遠ざけている…