秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

芝居と鎮魂

昨年11月から、猛ダッシュの連続でも、3.11のことは頭に常にあるのに、気づけば、再来週はお彼岸ではないか。
 
猛烈に忙しかった昨年末は大切なMOVEの同志が亡くなった。また、高齢者が多い、私の親戚縁者で他界された方がいるし、若い頃、初めてお会いしたとき、「いい面構えしているな」とほめてくださった、ある縁者の方が、元気な姿の記憶しかなかったのに、亡くなったという突然の報を受けて、びっくりすることもある。
 
それだけ、死が身近な年齢になってきたということだ。
 
あまりの忙しさで、福岡や鹿児島まで足を運べず、弔花と弔電を贈ることしかできていない。ふと、こんな感謝の足りない不義理をやっていては、きっと自分の死のときには、だれもいないのだろうな…などと自戒する。
 
身近な死を初めて体験したのは19歳のときだった。祖父の臨終の席に、まだ現役の県警捜査二課特捜班班長だった父と二人だけで居合わせた。そのときの体験がもとになって、私は処女作をその年の高校演劇コンクールの創作脚本として後輩たちに提供し、それがきっかけで演出だけでなく、本気で戯曲を書くようになった。
 
戯曲を書くときの左右の銘、指導書は、月刊「テアトロ」「新劇」「シナリオ」と新藤兼人の「シナリオ作法考」だった。
 
私が当初、一幕芝居の一杯道具の舞台ばかり書いていたのは、じつは、三一致の法則をただひたすら素直に実践していたからだ。高校演劇はそれには格好の発表の場だった。
 
時の単一。場の単一。筋の単一。ギリシャ悲劇の時代、アリストテレスの「詩学」の分析の中で、抽出された作法で、古典的な演劇作法の基本、教科書にされている。
 
舞台設定はひとつの場所。1日以内の出来事にする。そして、筋は一貫性を持たせる(物語はひとつ)。これが作劇をやる上では最初に身についていなくてはいけない。シェークスピアチェーホフも、ゴーリキも、イプセンも、近松も実際に、そうした作品を多数書いている。
 
その後、私はロシアアヴァンギャルド演劇やドイツ表現主義演劇、ベケットなどの現代劇も学んだ。能楽にも魅せられた。そして、気づいたのは、この基本の上にしかいい本はないということだ。
主筋がしっかりしていないと、多幕物はかけない。映画でいえば、いい短編がつくれないと長編のいい作品はつくれないのと同じ。饒舌で散漫になる。

そして、劇作の延長に芝居を学ぶうちに、やはり、演劇という祭事は鎮魂なのだと思うようになった。人々が生きる中で生き切れなかった思い。生き切れない中でも生き抜こうとする姿…。死だけではなく、生きるということそのものへの鎮魂なのだと気づかされた。
 
思えば、私の最初は、人迷惑な生き方をした祖父への鎮魂の戯曲でもあった。市井の当り前の人の命の使い方…それが自分が書くべきことだと思い、いまもそう考えている。
 
人はいずれ死ぬ。だれもが同じく、その時を迎える。その在り方は多様かもしれないが、問題なのは、そこに至るまでの時間の使い方、いのちの使い方でしかない。無念さも、斬鬼も、そして穏やかな死も、等しく、生きたということに意味がある。
 
そして、いのちは終わっても、必ず、だれがかそれを有形無形に引き受け、引き継いでいる。それを確信するところに、本当の鎮魂はあるのだ。