秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

世代のバラツキ

社会をとらえるとき、あるいは、社会のいまを考えるとき、世代のばらつき、世代の分散のバランスが地域や組織、団体でうまくとられているか…ということに、人々はあまり関心をもたない。

その結果、世代間の断絶と格差が、いまほど、極端な時代はない。

これは、世界的な傾向ではあるが、わずか20年、新自由主義の急激な導入と少子高齢化の加速で、この国がかかえる歪さは、他の国々に比較しても異常といっていい。
 
わずか20年ほどの間に、若年層の正社員雇用が激減し、契約など非正規雇用の労働形態が広がった国は、ほかにないのだ。結果、すでに何度も述べてきたように、若年層を中心に貧困が広がり、それはいま、女性や高齢者の貧困へと拡大している。
 
一方で、ITなど新しく勃興してきたWEB関連の情報産業や携帯、ゲームなどを含むデジタル業界などベンチャービジネスといわれるものは、若年世代だけの集合とその新陳代謝によって勃興し、成立している。

当然ながら、金融・DNAなどの
最先端医療情報分野や自動車製造など、一次産業から遠い分野で経済が回っている。

結果、そこへの労働力の傾注が、ますます一次産業を空洞化させ、高齢者がそれを支えるという構造が加速度的にできあがってしまった。
 
いつもいうが、それが地方の疲弊と地域文化の喪失の大きな要因のひとつだ。

確かに、時代の推移や業態の変化はある。それに適応し、順応するのに、若い世代がいることは大事だ。だが、同時に、若い世代だけですべての事が完結できる力はない。
 
その自覚が若い世代から奪われている。もっといえば、大した能力もないのに、自分たちは年寄も能力が高く、自分たちの感覚こそが人々が求めるものだと勘違いしている。一部それも正論の部分はあるが、底の浅い知恵と技術は早晩行き詰る。

高齢者は高齢者で、そうした若い世代を説諭し、警鐘を鳴らし、組みあってでも、伝えるべき、道理やバランスを教えようとしない。
 
だが、道を求めて、先人に問うのは、若い奴がやるべき礼儀だ。

その配慮とけじめ、そして礼儀を忘れては、いかに未来へつながるかもしれない取り組みであっても、人々に受け入れられることはない。大方、そうしたことができない輩は、一過性で終わるか、別世代の顰蹙(ひんしゅく)を買って支持されないで終わる。

その鍛錬と修練のためにも、世代のばらつきがバランスよくあることがすべてにおいて必要。

対立しようと、ときに、若い世代が悔しい思いをさせられようと、その苦労なくして、組織も、団体も、地域も、そして、国も、世界もうまくは回らない。