秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

反逆と破壊の欲求

講演会でよく語ることだし、この間のいわき市豊間小学校での上映会とトークショーでも語ったことだ。
 
子育て、子どもの心の問題を考え、問題があれば、それを解決するためには、親の子どもとの関わり方、親自身の仕事の問題や夫婦関係のあり方、地域との関わり方をみつめることになる。
 
もっといえば、親自身の成育歴や置かれていた環境に関わることにつながる。それはまた、親自身の親、子どもからすれば、祖父や祖母といった高齢者の置かれた生活環境や暮らし向きをみつめることにもつながるのだ。

 
子育てや子どもの教育、あるいは、心の成長の問題というと、子どもと学校、親のことくらいしか視野にない。
 
だが、じつは、親を通して、子どもを通して、学校ばかりでなく、地域はどうあるべきか、地域の大人や子どもの関わり、高齢者との関わりがどういう環境にあり、どうあるべきかを検証し、考えることになる。
 
さらに、地域にいる障害を持った人や問題をかかえる人物といった、地域の枠組みで支えていかなくてはならない人たちのことも視野に入ることになるのだ。

子育てを親と子の問題、子どもの問題として狭い視野においていては、それができない。
 
だが、現実に、こうした問題にかかわってる社会福祉協議会や包括センター、児童相談所、保健所の職員やスタッフには、単に子どもの問題、家庭の問題をいった枠組ではとられ切れない状況が見えている。

そこを地域のネットワーク、人のつながりや外部の人たちとのつながりの中で、どう回復していけばいいか。それを考えるところにしか、じつは、解決の糸口はもはや残されていない。
 
地域だけの世界で、子育ての問題が解決するほど、社会は単純ではなくなっているからだ。そして、地域というものが、流通や消費、生産や加工、販売を通して、他の地域や人と知らず知らずのうちに深く結びついているからだ。そこには、同然、地域の流動性の高まりもある。
 
ところがこの国は、戦後のある時期から、つまり高度成長によって豊かになり、地域の形が体裁だけ整ったところで、この問題に深く踏み込み、子どもを通して、地域、社会を見ることをしなくなった。

その怠慢への抗議と警鐘として、1997年5月酒鬼薔薇事件は起きたと私は考えている。以後、この問題に踏み込まなくなった、体裁ばかりの地域、社会に、「人を殺してみたかった」「だれでもよかった」という動機不明の殺傷事件が連続することになる。

佐世保で起きた女子高生殺人・遺体損壊事件。酒鬼薔薇から20年近くになるというのに、地域の力でも、学校教育の力でも、そして社会の力でも抑止できない事件が起きた。
 
もちろん、すでに地域や学校、社会において、かつてあったような教育力が欠落しているのは自明だ。その背景を語ると長くなるのではぶくが、少なくとも体裁だけで繕われた、地域、社会、もっといえば、国の制度やシステムが続く限り、こうした事件はこれからも起き続ける。

神戸連続殺傷事件は阪神淡路から2年と少しで起きた。先般、岩手県でも、青森の青年がAKBを襲う事件が起きている。佐世保で起きた事件は、決して対岸の火ではない。

いま、子ども、親を軸としつつ、地域の教育力の回復と心の問題に真摯に目を向けなければ、体裁だけ整備された復興地域から、そこの枠組みに入れないだれかが
反逆ともいえる牙を剥く。

MOVEがいま、地域の伝統文化や芸能、地域芸術を拠り所としながら、それを通じて、地域の原点を建て直し、それを他の地域へ紹介、連携する道を歩もうとしているのは、このままでいけば、その数年後の現れる、その姿が見えているからだ。

体裁だけを整えた家庭や地域、社会…思い出してほしい。かって自分たちも思春期に抱いた、あの反逆と破壊の欲求を。

引き金は、いつも、そこにある