秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

見えてこない

無学、無教養なのだが、やたら要領のいい人間というのがいる。
 
要領も、二つあって、するすると力のある者や学識のある人間にすりよって、その傘下にあることで、実際の自分の力や能力よりも大きく見せ、周囲からの評価を自分のものにするというのがひとつ。
 
もうひとつは、そうした力や学識のある人間にすり寄ることもなく、権威や常識から自由に、独特の発想と行動で、自分の力や能力を示すというのがひとつ。

これは、その力や能力が確かかどうか、優秀かどうかより、それまで見たこともない角度やとらえ方のため、新規で斬新に映る。それによって、周囲の評価や協力を違う形でえるというやり方だ。

前者は、俗に「虎の威を借るキツネ」といわれ、依存しているものから見放されると行き場がない。だから、節操なく、依存するものを変える。ヤドカリ式だ。それはそれで、貪欲でたくましい。が、品がない。

後者は、最初っから、学や教養で勝負していないので、強い。俗に、「生きる力のあるやつ」という典型的な姿だ。

しかし、一方で、中途半端に学識があり、生半可な教養があるという輩がいる。

テレビの評論家ぶったタレントやナントカ解説者とか、ナンチャッテ評論家、ナントナク作家という人は、大方、この部類。市井にあっても、わかったようなことをいう博識家風や評論家風という人も同じだ。

もっといえば、昨今の政治家や経済人といった人の大半もそうだし、社会活動家や市民運動家NPOの代表者やわけのわからないメンタルセラピー系、ヘルスコーディネーター系、自己啓発カルチャー系とかいった世界で、宗教まがいに、さも人生や人間や自然や宇宙がわかったように語る人々も、大方、この部類にいる。

こうした部類の人間たちは、問われなくても自動音声装置のように、自分から語り出す。やたら、人前に出たがり、しごくまともなことをさもすばらしいことのように語る。ディベートが達者で、人を笑わせ、落とし、そして、じんとする話のネタで、頷かせる。
 
いわば物売り、詐欺師のテクニックだ。でいながら、人生とは…いのちとは…心とは…人とのふれあいとは…果ては、自然とは…歴史とは…宇宙とは…となる。
 
基本、笑顔をたやさず、なんでもどんなことでも受け入れてくれるという安心感を与え、そんな人生の苦労があったのかとあとで思わせるw
 
要は、悪しきにつけ、コミュニケーション力がある。だが、本来の相互理解と共有という深いコミュニケーションからは遠い。

私は、笑顔は大事だと思う。笑顔がすてきな人はきれいだとも思うし、そうした笑顔を絶やさない人を素晴らしいとも思う。そうした人たちが与える、いやしとやらも必要だろう。
 
だが、同時に、いつもまくなしに笑顔を振りまく人を私は信じない。逆に笑顔の薄い人の方が私は信頼できる。笑顔が途切れたときの顔にその人の真実を見る。
笑顔は詭弁やまやかしと紙一重、演技でもあるからだ。人の真実は、陽ではなく、陰の方に多く含まれる。

いまの世の中、こうした部類の人たちで回ってる。回されている。翻弄されている。そこに流されないためには、だから、市井の、ごく普通の、当り前に生きている人たちの声を聴くことが大事なのだ。その心の底にあるものを聞きき取ることが大事なのだ。

どうすれば、その聞き取った声と共に生きられるかを考え、行動することが大事なのだ。

いま、人の真実も世の中の本当も、そして、世界のこれからも、それができなくては見えてこない。