秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

マイケル・サンデルがいいたいこと

このところ、ある考えに基本をおいて、このブログを綴り続けている…
 
ということに気づいた人は、相当にオレのHP今月の評論を読んでいる人か、オレのブログを継続的に読んでいる人か、もしくは、オレと普段から接していて、一貫して主張している基本的な考えをよく知る人だろう。
 
ここで昨日のブログを振りかえってみる。
 
生活の中のさまざまなにおい、人の体臭、生産の現場の生々しさを退ける都市的生活環境は、結果的に、格差によって支えられ、競争原理によって生み出されている。そうした競争原理や格差を当然とする社会、国のあり方ではなく、ただ数値目標を求めるだけの成長ではなく、そこに生きる人々の幸せや喜びを基本とする成長のあり方を模索するときにきている。 
 それは、当り前の社会だ。高齢者が一人孤独になくなることのない地域、人々の姿が消えることのない地域、女性や子どもの人権や幸せが大事にされ、人々が未来に何がしか生きる希望や期待が描ける国だ。 
 生まれてきた子どもたちが、思春期、青年期になり、こんな国に生まれたくなかったといわせない国だ。高齢者が、こんな国にするためにがんばってきたんじゃないといわせない社会だ。弱き人々に手が差し伸べられ、そのことをいとわない地域だ」
 
この考え方の基本にあるのは、すでに解答のわかっている人もいるだろうが、「日本的共同体社会論」だ。詳細ははぶくが、これは、天皇制を基本とする共同体ではなく、日本的共同体の枠組を市民の力によって回復するという考えによっている。
 
これは、実は、マイケル・サンデルの著書が出版されるはるか以前から、オレもしくは、オレの周辺(主として宮台真司などであるが)で、常に議論し、刷り合わせをしてきたことだった。
 
今日は、この一節とほぼ同じ引用を、マイケル・サンデルの大ベストセラー「これからの正義の話をしよう」から紹介しようと思う。ただし、この文言は、サンデル自身が語ったものではなく、JFKがほぼ最後の演説として語ったものだ。
 
「GNPには子どもの健康、教育の質、遊びの喜びの向上は関係しない。詩の美しさ、結婚の強さ、市民の論争の知性、公務員の品位は含まれない。われわれの機知も勇気も、知恵も学識も、思いやりも国への献身も、評価されない。
 要するに、GNPが評価するのは、生き甲斐のある人生をつくるもの以外のすべてだ。そして、GNPはアメリカのすべてをわれわれに教えるが、アメリカ人であることを誇りに思う理由だけは、教えてくれない
 
政治が何をしてくれるかではなく、市民が政治を動かす時代がこなくてはいけないとオレは語り続けている。それは、公民権の意識を大衆がきちんと学び、身につけ、それが実は、自分たちの生活を自分たちの力で切り拓くことになる近道なのだということを訴え続けている。
 
これまでの経済優先のあり方から、生活優先のあり方に変える力は、経済界にも政界にもありはしない。市民の意識改革と行動によってしか、それは達成されない。
 
公民意識に根差した日本的共同体社会。それは、オレたちの国が、日本人がこれまで一度も手に入れたことのない社会、国だ。しかし、今回の震災とその後の様々な問題、課題は、いまこそ、そうした時代を市民が切り拓かねば、国難ともいえる時代の次がないことを教えている。
 
これまでの社会の枠組み、それは政治の枠組みにせよ、企業の枠組みにせよ、そそれらがいかに脆弱なものであるかを今回の震災は示した。これまで、オレたちが、それに帰属し、依拠していれば、なんとかしてくれる、なんとかなると考えていたものの、無力さを痛感しているはずだ。
 
ならば、ひとり一人が抱く、未来へのビジョンを市民のビジョンとして形にしていくしかない。政党や政治を非難する前に、あるいは、民主はダメだ、だが、自民もダメだと揺れ動くのではなく、ビジョンに応えさせる政治を市民が主張するときにきている。
 
と、マイケル・サンデルは、きっといま、日本の現状をみて、いいたいに違いない。