秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ゴジラが現れる日

いまNHKプレミアで東宝の看板映画だった「ゴジラ」シリーズを連続放映している。

夏休みの子ども向け編成というのがその表向きの建前だろう。特定秘密保護法案に賛成し、報道の自由を抑圧する立場の人物のNHK会長就任を含め、権力の規制がNHKの番組制作や編成に及んでいる。
 
その中で、かつて、原子力の存在そのものに継承を鳴らす意図で制作が始まった、「ゴジラ」をあえて放映する。
 
そこには、NHKスタッフの原発推進、再稼働を急ぐ、現政権とそれを承認する現会長人事へのささやかな抵抗があるように私には思える。
 
原発事故の収拾もつかず、以前、不具合、不手際が続いている。福島第一原発事故の解明もされるどころか、判然としないまま、復旧停止作業さえおぼつかない。
 
事故の収拾も検証もなく、川内原発の再稼働が動きだし、電力各社はどこも再稼働へ見切り発車を急ぐ。

財界も政権も、人々のいのちの安全や地域の環境と生活の安全など、どうでもいいと思っている。経済優先=都市優先の方向を変える気がない。依然として、地方は犠牲にしても、札束で頬を叩けば解決できるとしか考えていない。

先日、赤阪で、ある企画の件で、久しぶ
りにアニメ制作会社のKさんとカナダ人の映像作家でプロデューサーのMと会合を持ったという話をした。

その中で、「ゴジラ」について、こんな話が出た。
 
「すごい陳腐なんだけどさ。つい最後まで観ちゃったんだよ」とKさん。
「いや。私もです。どうしようもなく非現実的な設定なんだけど、ある真実ははずしていない」と私。

そして、私は続けた。

「当時、広島、長崎の原爆の記憶がいまより新しく、多くの人が戦争の体験と記憶を持っていた。そこに、アメリカの水爆実験で、第五福竜丸の事故が起き、被爆による無残な死によって、放射能の不安が一気に広がっていましたよ」
 
「核の脅威をゴジラという核汚染によって生まれた怪獣にして、原発を含む、核の存在の危うさを制作者や出演者たちが共有できてた…」
 
「だから、設定や特撮があんなに陳腐なのに、俳優の芝居に切実さがどこかに漂っている。監督や脚本家にもそれがある。そうした制作者や俳優の思いが、いま見ても、視聴者を釘づけする力になっているじゃないんですかね…」

ゴジラ」最新版はハリウッドで映画化され、もうすぐ公開される。

この国の、世界のこれからが見えない、愚鈍な政治家や終わりゆく資本主義にしがみついたまま、これまでと同じ既得権を守るために、市民を犠牲にする財界人たち…。そこにはかつて、松下幸之助本田宗一郎土光敏夫のような倫理観や社会全体を考える視点はない。

武器の輸出を緩和するという、いまの安倍政権は、すべての政策において、市民、国民を謀る詭弁とまやかしばかりだ。
 
アメリカからイスラエルに無償提供されている最新鋭の圧倒的な武器で、ガザ地区ではすでに死者は500人を越えた。
 
ウクライナでのマレーシア航空機事故では親ロシア派とロシアが責任をとらず、詭弁を弄している…。

ゴジラが現れる日は近い。