秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

世界で一番美しい一瞬(とき)

いま、私のふるさと、福岡市では、15日未明の追山へ向けて、市の中心部は熱気に包まれている。

7月1日から始まる、飾り山笠から街は、この15日へ向けて、ひたひたと時を刻む。正確には、追山が終わった次の日から、1年をかけて、この一瞬のために、主に市内下町に当る博多を中心に時は刻まれている。
 
飾り山笠というのは、博多人形の人形師たちがその技術と意匠を競うものだ。追山の15日までそれぞれの商店街、町内会の目抜き通りに固定されている。

これを市内の人間はショッピングやなにかで出かけた折に、ながめ、評定をする。今年は、どこの飾り山が一番いい。今年はあそこの人形師が秀でている…といった具合に。ここから、すでに商店街同士、地域同士の競い合いが始まっている。
 
この間、商店街やデパートは特売を設け、飲食店では期間限定サービスなどをやる。そして、今年は、どこの流れが一番をとるか…という話題で盛り上がる。流とは、追山を組む、その商店街、地域の総称をいう。千代町だと千代流、恵比寿町だと恵比寿流といったことだ。地域の青年、壮年が中心になってこれをつくる。
 
追山笠というのは、この山笠を中州にある博多の氏神・総鎮守の神社、櫛田神社に祀られている、櫛田大神天照大神・素戔嗚(スサノオ)大神=祇園大神に奉納する山車のことだ。
 
よくある神社に奉納する神輿とは違い、飾り山の乗った山車のため、大きさも担ぎ手の数も比較にならない。男祭りといわれるゆえん。昔は、死人も出た。いまでもけが人は出る。それほどに激しい。
 
戦前は、櫛田神社境内からスタートして、追山同士をぶつけあい、どこが一番にゴールにたどり着けるかを競った。マッチレースのため、勢い担ぎ手同士で乱闘になる。いまは、それが危険だからと、タイムトライアルレースに変わった。

私はいわゆる下町の博多っ子ではない。父の出身も、親戚も博多なのだが、私は父の仕事の関係で警察官舎住まいだったために、いわゆる中州から向こうのいま大河ドラマになっている福岡舞鶴城、いわゆる黒田城近くで幼少年期を過ごした。そのため、飾り山は見ることはあっても、未明の追山を見ることはなかった。
 
初めて、戯曲らしい戯曲を書くとき、なぜか、この追山と、当時、客足が遠のき、廃れていた川端商店街とその周辺の博多の下町のことが降りてきた。そこにある人情や気質といったものを題材に、いまを描けないか…
 
それが降りた瞬間は、生れて初めて、追山を見たときだ。浪人の自分を高校時代の同級生が未明に誘った。
 
そこで、とりわけ、何かがあったわけではない。だが…。
 
福岡を、親を、親戚を捨てようとしている自分とこの祭りを地域の楽しみ、記憶として生き続けるであろう、彼らとの距離がなぜかそこに、まじまじとあった。

それでいながら、福岡や大宰府の年中行事と風物、人情、そして、いつもまじかにあった海に惹かれる自分の矛盾に気づかされた。だが、それでも、自分はどうしてもいかなくてはいけない。いかなくては、きっと前へ進めない…その矛盾の中でもそう確信した。

いまNHKプレミアで、「世界で一番美しい、一瞬(とき」というドキュメタリー番組をやている。世界のある一瞬の自然の輝きや祭りの輝き、巡礼の終わりや農水生産の収穫のとき…
 
その一瞬へ向けて、日々、名もなき人たちが、自分や家族との時間、地域の日常を細々と、しかし、確かにつなぎながら、そこにしかない一瞬ために、それを誇りとするために生きている。その姿を追っている。
 
私は、福島にもそれがあると確信している。明暗とモザイクにされた福島が、自分たちにあるささやかだが、かけがえのないそれに目覚め、気づいたとき、きっと、すべての苦難を乗り越える知恵をそこに示すことができる。
 
そして、それは、必ず、他の地域に生きる人々へ勇気を与え、自分たちの一瞬のために刻む、今日の素晴らしさに目覚めさせてくれる。
 
私が、あのとき、ここを出て次へと確信をくれ、未来への道を拓いてくれたのは、福岡の追山のその一瞬(とき)だったからだ。