秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

その人たちを見ている

政治的な立場や思想、支持する政党…あるいは帰依する宗教や宗派、そういったものを私は基本的に問わない。問題はその人の人柄、人格、品格だと思っているからだ。
 
当然ながら、人種や民族、肌色、性別、出自や門地で、その人を色眼鏡で見るという偏見もない。逆に、それが社会的地位があるから、有名人だからとすり寄ることしもしない。幾人かそうした方が私の周りにもいるが、それは私がその人の人柄や人格、姿勢に共感して仲間となった人たちだけだ。
 
よくある同和地区出身者や朝鮮半島や中国の人間だからといって侮蔑したり、差別することもない。これも人柄、人格、品格だけが問題だ。
 
逆に、憲法にもある、思想信条の自由や表現の自由基本的人権にかかわる問題を平気で蹂躙する輩には、ボコボコにしたくなるほど怒りを感じる。このときだけは、人権派は捨てて、肉体的弾圧OKのやくざ監督にもなる。

単純に、国の治世とは関係ない、一般庶民までをひとくくりにして、自分のいる国の中で、外国人に対する侮蔑や差別、言葉の暴力を安全なところで口にするバカは虫唾が走るほど、大キライなのだ。

やるなら、朝鮮半島や中国にいってやってみろ。それができねぇなら、くだらんガキみたいなことやってんじゃねぇよ!…まともな議論もできず、傷つく人の気持がわからない奴には、福島のことだってわかるはずがない。というのが私の持論だ。

仕事でも、NPO活動でも、社会的活動をめざし、それが、ある地域だけや国内だけの人々に理解さればいい、あるいは、自分の名前や団体が有名になればよし、といった愚かな考えはないから、当り前のように、そうなる。

大事なのは地域の名もなき人たちなのだ。自分や自分たちではない。
 
私の友人で国連NGO団体の事務局長をやっているKさんは、長く海外の紛争地域で支援活動のオペレーションをやっていた。まったく文化も生活習慣も違う現地の人々は当然ながら、支援でやってくる諸外国のサポーターたちも自分たちの感覚と違う。
 
時には、激烈に権威主義助成金、名声を求めてやってくる、そうした人々と議論し、しかし、それでも活動を続けているのは、大事なのは、その紛争地で生きるその人たちだからだ。

昨夜、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で、大阪府豊中市で取り組んでいる高齢者のゴミ屋敷、孤立死、ひきこもり対策に、暗中模索で道すじを拓いてきた、社会福祉協議会コミュニティソーシャルワーカー勝部麗子さんの姿を追っていた。

勝部さんにあるのも、いろいろな行政の壁、周辺市民の心無い差別や非協力の中、それでも続けられるのは、いまその苦悩の中にある、その人たちを見ているからだ。