秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いつもあなたのそばにいる…

「いつもあなたのそばにいる…」。それが今回のCMのタイトルワードだ。

今回のクライアントは、多数の死者、負傷者を出し、ほぼ地域すべてが津波被害に遭った薄磯地区にある、丸又蒲鉾製造。
 
工場も自宅も被災しながら、蒲鉾工場が多数あった地域でいち早く工場を再開した。その間、津波にのまれた機械の修復、工場再建のための県との交渉に取り組んだ。従業員の方も亡くなった方がいる。
 
被災直後から、支援に来たボランティアの力や励ましを受けながら、私たちMOVEが最初の事業として実施した、2011年11月の大いわき祭には、出店した海鮮販売のおのざきが丸又蒲鉾の揚げ蒲鉾を販売していた。

おのざきの社長のOさんが当時から、この薄磯の丸又蒲鉾を応援していた。直接、その丸又さんと顔を会わせたのは、それからほぼ1年以上、経ってからだ。

以来、豊間、薄磯に顔を出すと、時間があれば、丸又さんに立ち寄るようになり、応援学習バスツアーが縁で、参加者やMOVEメンバーもなにかの折に丸又さんに顔を出すようになっている。
 
常務のSさんは、MOVEいわきメンバーにもなってくれ、事務次長をやってくれている。

丸又さんから、自社のCMをつくりたいという話を聞いたとき、脳裏に浮かんだのは、仮設住宅で暮らす一人暮らしの高齢者のことだった。

昨年の夏から、私はNPO法人ふくしま震災孤児・遺児をみまもる会や市の教育委員会、子ども子育て支援室、被災地域にある豊間小学校、復興協議会、富岡町役場いわき出張所へ取材や聞き取り、映画制作の協力依頼に歩いていた。

その中で、ある保健師の方から高齢者の実状を聞かされた。仮設や借り上げにいても、震災後、痴呆がひどくなり、半壊して住んではいけない自宅に舞い戻る高齢者がいることだ。その数は決して少なくはない。
 
また、仮設住宅での孤立死や高齢者の単身住まいによる仮設コミュニティからの撤退など、報道で大きく取り上げられない現状だ。

福島は、地域によって線量が高いこともあり、子どものいる家庭の中には、福島県内から遠ざかっている家族もいる。また、借り上げや新規住宅を手に入れ、避難した先で、新しい生活がはじまり、高齢者の子どもたちは、次の生活のための道を歩み始めている。

家族の環境が変わっただけでなく、家族の姿そのものが変わっている。
 
丸又蒲鉾は、豊間・薄磯といえば蒲鉾とわれる、その文化をいち早く再建することで、そうした変化の中でも、地域文化のひとつを結果として守り、蒲鉾という形で届け続けているのではないか…

つまり、いつも、そうした被災した人々の被災した地域の食の伝統、文化として、そこにいる。
 
私は、そのことをCMの裏側に忍ばせたかった。仮設住宅は祖母がひとり暮らす家に変わり、被災した現実は傷めた足に変えた。母が調子が悪くても、すぐに帰ってこない息子の現実、心にある申し訳なさと、それも仕方ない現実があると承知の母…

その設定はそうして生まれた。
 
ひるがって、私たち日本人の食卓に蒲鉾は日常としてあった。いまでは歳時や寿ぎの時、お中元、お歳暮といった時節にしか購入することはなくなっているかもしれないが、運動会の母のつくる弁当や遠足の弁当、あるいは家族で出かけるちょっとしたレジャーの場で、蒲鉾は珍しいものではなかった。

その日常を取り返す。そこに、やむなく暮らす人と人の心をつなぐなにかが生まれる。
 
いつも私たちの生活にあった、当り前の、ごく普通の人々の生活にあった日常。それを丸又蒲鉾の姿に見てほしい。

あのときも…そして、いつもあなたのそばにいる、丸又蒲鉾。それは、私たちの日常の復権への願いと決意の言葉だ。