秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

連携と協働のための品格

連携、協働というのは、簡単なようでじつは難しい。
 
個人、団体には、それぞれの思惑や算段、そして打算もある。だから、見えないなにかをベースにつながるというのは、利益追求のためだけに結びつくよりはるかに難しい。

利益追求においてさえ、どちらの取り分が多い、少ないでもめるのだ。あるいは、どこが、だれがイニシアティブを握るかでも喧々諤々になる。
 
わかりやすい金目当てそうなのだから、利益ではない、社会や地域、あるいは他者のためにといった貢献事業となると、一層、難しい。
 
連携、協働する者同士に、明確な基軸が共有されていないと、最初はよくでも、そのうち、それぞれの目指すものや願うものの相違がはっきりしてくる。経費のやりとりでももめることなる。

同じ事のようで、その対象やアプローチの仕方、行動原理、もっといえば、作法や佇まい、構えといった品格にかかわる相違は、じつは大きい。

他者からの視線や評価といったものとそれらは直結するからだ。
私は、MOVEを始めた当初から、この品格にこだわり続けた。

だれも知らない、まだNPO法人にも登記してない頃から、多くの人の目にふれるときに、何ら恥じ入ることもなく、かつ、その行動原理の基本にあるものが多くの人の共感がえられることを目標としていた。だから、事業計画案の策定も、行政並みの手間をかけてつくってきた。

うちがNPOを維持するための収益事業に手を染めていないのも、やたらに助成金の申請をしないのも、また、国政や行政の力に依存しないのも、そのためだ。

もちろん、活動を支える資金がないのは苦しい。だが、苦しいからといって、いまの国政や行政に依存したら、その瞬間から、私たちの活動は自由ではなくなる。国政や行政の姿を批判することも、かくあるべきと対等に提言することもできなくなる。
 
助成金や支援をもらったからといって、そんなことはない…多くの人は思う。

だが、一旦、国政や行政の助成金や支援金を当てにするようになると、膨らんだ事業や実績を維持するために、これに果てしなく依存するようになるのだ。

最初は、その気でなくとも、一度依存を覚えると、自主自立、独立自尊で、あれこれ創意工夫し、自分たちの素の力を発揮して、魅力を発信する力が失われていく。心はなくても、アリバイとして、社会や地域のための活動をやっているというふるまいをするようになる。
 
結果、それが、なんだ…体裁だけじゃないかという批判をつくりだす。人の目は、自分が思うほど、雲ってはいない。
 
ことほどさように、助成や支援を仰いだとしても、迎合せずに、自分たち独自性や創造性を阻害されずにやり抜くというのは、いまの時代、容易ではない。簡単にいえば、ただより高いものは、この世にはないのだ。
 
私たちは資金のない分、徹底して事業案の作成にこだわっている。意志を明確にするためだ。そして、他の団体との連携にこだわっている。私たちMOVEの持つバックグラウンドと実行事業をやる品格のある団体との連携によって、資金の不足を人の力で補おうとしているからだ。

いま、私は、いわき市の古民家を拠点とした、中之作プロジェクトとの協働事業を模索している。また、最近立ち上がった、東京在住の福島県出身の女性たちの活動、ふく女の会にも連携を深めている。
 
中之作は、MOVEが今期から進める事業との関連性が深いことが大きな理由のひとつ。また、ふく女の会は、女性ならではの視点を私たちの団体にも取り入れてもらい、より、自由な発想で協働できる事業を模索したいからだ。

いずれも、そこにかかわる人の魅力と品格を基本としている。そして、決定的には、生粋の福島在住者、もしくは生粋の福島県出身者であることを基本としている。

体裁だけを整えた、ふるまいやいまではなく、その次に視野を向けた行動原理を持つ品格に基準を置いている。

 
連携や協働は難しい。難しくしているのは、それが、自分たちの楽しみだけや自分たちの名声欲やいまだけの視野に閉じているからだ。その次の、その先を見る力があれば、決して難しいことではない。
 
だれための活動なのか、何のための取り組みなのか、その次のために、なにをしなくてはいけないのか…その連携と協働に大切な、品格が生まれてくる。