秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

恥と誇り

今朝のNHK「あさいち」の特集。「子どもの貧困」。昨日の夜は、クローズアップ現代で「女性の貧困」を取り上げていた。

子どもの貧困とは、母子家庭を含め、親の収入が平均所得の3分の1以下という家庭にいる子どもの生活状態のことだ。食費を削る中で、十分な食事を与えられない。
 
小中高校では授業料の無償化があるが、それとは別に給食費、副教材や運動着、また課外学習費や部活費、修学旅行費とった経費が生まれる。これを払えない。また、同級生同士の社交。誕生会や外出のためのおこずかいがない。
 
こうした状況になると、子どもはクラス内から孤立する。だが、それが自分の家の貧しさということを知っている。そして、親が奮闘している現実も知っている。ゆえに、それをがまんする。結果、お腹をすかしながら、それを周囲に告げられない。6人に1人がこの状況にあり、まだ加速する勢いだ。
 
女性の貧困とは、非正規でしか働けず、年収が極度に低い若い女性を中心にした生活状態のことだ。しかし、その貧困は、上は40代にもなる。現在、単身女性の3人に1人がそうした状態にある。
 
こうした社会事象を話題にすると、すぐに、愚かな人たちは、機会は平等にある、親の努力、本人のがんばりが足りないからだとわかったように批判する。生活保護世帯の問題も同じだ。
 
社会的に劣勢になり、平均的でなく、それどころか、それ以下。簡単にいえば、人に知られて恥ずかしい収入と生活に追い込まれると、人は容易に挑戦的にも、前向きにもなれない。
 
貧しさというのは、時間を費やして仕事をし、収入は極度に低いが、それを続ける以外、生活を維持させることができない状態をいうのだ。生活を転換するゆとりと経済的余裕がない。それは、人を自分はそういうふうにしか生きられない人間なのだという精神的窮地へ追い込む。
 
そして、社会へ、いわゆる公的サービスへ支援を願い出ることもできなくする。結果、地域や社会からますます孤立する。中高年、高齢者の孤立死は、地域が見捨てただけで起きているのではない。
 
自ら社会的つながりから撤退することで起きているのだ。戦後「菊と刀」で解析された、恥という文化は、残念ながら、そうした姿でいまも私たちの社会にある。現実にそうした貧しさを本人の責任だと非難している。

これは、言い換えれば、「恥を知れ!」「地域の恥だ!」と痛烈にその人の尊厳、基本的人権を否定していることなるのだ。

その世間が、ますます人を追い詰める。大事なのは、いまそうしてある自分への自尊感情、誇りの回復だ。経済的な支援も大事だが、まず、自分という存在への誇りをなにかで回復する。それが先になくてはならない。
 
支援を受けることが恥ずかしくないことなのだと思える社会だ。それによって、人間の価値は決まらないと思える社会だ。