秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

高齢者の力

これも何かのサイファなのか…
 
徳島県限界集落や過疎対策に資料を読み、地域新生の鍵になり、かつ、MOVEが目指す地域間連合のヒントをいろいろえていたら…FNNグループが徳島県の光ケーブル網整備の取り組みと限界集落のひとつ、神山町での古民家を活用したサテライトオフィス誘致の試験実施の様子を伝えていた。

限界集落、過疎については、全国的な統一調査やデータがないが、四国4県の中で徳島県は高齢化が急速にすすみ、限界集落の増加は全国レベルで予測してもトップレベルにある。
 
その高齢者比率の高い山間部でいま取り組まれているのは、積極的なIT導入なのだ。NHKのクローズアップ現代でも紹介され、すでに東宝系で公開予定の映画の撮影がスタートしているが、徳島県東部にある、上神町では、NTTドコモ四国と地元事業体が一体になって、京都・大阪などの著名料亭などに食材、料理を彩る四季折々の葉っぱの受発注システムにタブレットを導入している。
 
タブレットを首から下げて、山に入り、葉っぱを集めるのは山間部の高齢者たち。高齢者だけに、葉っぱの目利きがよく、彩り、形状、そして料亭に運ばれるまでの日持ちの予測など、しっかりしている。その能力を活用しつつ、事業体はタブレット端末を使うことで、品質管理、生産管理、受発注管理といったことを同時にできる。年間これで、稼ぐ高齢者は、1000万円の収入になるというのだから、驚くほかない。
 
しかし、そこにあるのは単に収入の安定という問題だけではないだろう。70歳以上の高齢者が大半の地域で、そこに社会参加ができるという喜び、自分たちの経験や知恵が生かされ、社会の役に立つ存在でいられるという生きがいの方が大きいに違いない。現役として社会につながっていられる喜びもあるだろう。
 
当然ながら、高齢者にタブレットを使いやすくするソフトの工夫もあったろうし、教育もあっただろう。
 
多くの人々、とりわけ、都会的な生活の中だけにいると、人は、高齢者地域にITは不向きという。PCが使えない高齢者が多いのだから、デジタルネットワークはムリだという。では、デジタルは高齢者を取り残すのか…否、そういう思い込みによって、高齢者をデジタルから疎外しているのだ…とオレは確信している。
 
高齢の方々の興味や関心の高さは、軟弱な若い世代や団塊世代の訓導の中だけで生きてきた40代(かつてのいちご世代)、そして、団塊世代以上だ。健康な80歳前後の連中とマジに話をすれば、すぐにわかる。とりわけ、女性。
 
確かに、都会のあふれる情報の中にいるとITなんて、携帯なんて…という高齢者が多いのはわかる。いちいち追いかけてはいられない。その拒絶反応が先にくるからだ。だが、地域にいけば、いま世の中がどうなってるのか…という関心のモチベーションは決して低くはない。
 
戦前の教育の凄さについて、多くの人たちは、あまりに無知すぎる。いうまでもなく、戦前の一般庶民の多くは尋常小学校を卒業するとすぐに社会に出る。ま、上の学校に進んだとしても高等小学校まで。旧制中学に行ける人間は経済的にも恵まれた一部の子どもたちだけだった。そのため、日本の学校教育は、尋常小学校までで、社会に適応できるほとんどを子どもたちに教育していた。読み書き、そろばん、幾何の基本…裁縫までもだ。
 
また、社会に出て、丁稚奉公や下働きをしていても、仕事をよりうまくこなすための高い教育をオンザジョブで自然に享受できていた。それが日本社会の基本的な教育システムだから、農業や水産漁業の中でも、気象学、地質学、植物学、動物学、生物学、航海術など学ぶことは実に大きかったのだ。しかも、それは生産にかかわるという現実的な知識や知恵だ。だから、強い。小さな店舗から商家に至るまでそれを当然のこととしていた。

そうした教育を受けてきた人々が、実はいまの75歳以上の高齢者。マスコミは認知症や要介護認定を受けた人たちだけが高齢者であるような伝え方をする。確かに、社会から必要のない存在とされたら、健康な高齢者でも生きる意欲やがんばりを忘れざるえないかもしれない。まして、配偶者を失う、地域から孤立する…ということになればなおさらだ。
 
しかし、それも、この世代の人たちの有用さ、この人たちが若い頃に身につけ、築いてきたものの大きさを高齢者という名のもとに排除してきたがゆえの結果でしかない。

震災地域であきらかになったように、高齢者中心の地域の姿にどう対応してくかは、これからのこの国のあり方を考える上でも重要な問いだ。いつもいうように、女性、子ども、高齢者…それらを生かせない国、地域の未来はない。なぜなら、あたなが、いずれ、高齢者国家の一人として、そこにいるからだ。