秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

一粒の麦

昨夜、NHKが、東浩紀梅原猛の対談を放送していた。東浩紀は、哲学者の視点から鋭くいま現在の人心や国・世界の姿を的確にとらえることではダントツの学者だろう。
 
その東が、震災の現実に直面し、政治的、制度的、哲学的に新しい理念や志向を必要としているいま、かつてこの国の常識とされてきた理念や志向では対応できないことを実感したという。
 
団塊世代が築いてきた方法論やマニュアルがまったく通用しない時代がきた。その中で、着目すべきは団塊世代以前の人々の思考や思想ではないか…。その知恵を生かし、若い世代が震災後の日本、世界をどう生きればいいのか…その基本的な問いの中で、東が対談したいと考えたのは、87歳になる梅原猛だ。
 
梅原については詳細に説明するまでもないだろうが、日本の哲学界の中では、異例ともいえる日本思想の研究に多くを費やした。西欧主義や西欧哲学の限界を若い頃から指摘し続けていることでも知られている。いまは、東日本大震災復興会議特別顧問に就任している。
 
実は、20代の後半から30代初め、オレは梅原の著作に強い影響を受けた。世阿弥を始め、オレ自身が日本思想に強い関心があったこともある。近代以後、この国では、芸術、文化、教育、思想、哲学においても西欧を足場にしてきた。その限界を論理的に指摘し、西欧に比べて劣っているとされてきた日本的なるもの復権なくして、この国の未来はなという、その立ち位置は、まさに、オレがあらゆる議論の根拠としていたものだったからだ。
 
東京藝術大学100周年の仕事の中で、岡倉天心横山大観と出会い、オレはその意を一層強くした。当時、海外の芸術を範とする傾向の強かった現代美術の作家たちと、日本近代をめぐり、激烈な議論をしたのを覚えている。

日本的なるものが世界基準にならない…多くの知識人、学者、研究者、いわゆる業界主流といわれる人間たちはそう信じてきた。それは市井の多くの人々もそうだった。しかし、この30年のこの国のありようを振り返ってみれば、アメリカを基準とする国のあり方がいかにこの国にそぐわなかったか、西欧的なるもののによって、つまりは単に科学技術に依存するだけでは世界は幸せへは導かれないことが明らかにになっている。
 
しかし、ひるがえって、江戸時代までの日本人の生活文化や思想、理念は、それとは真逆の方向をみながら、実は、いまの世界において、十分世界基準となる要素をふんだんに持っている。ある意味、その陰の力によって、日本は東洋の島国にありながら、驚異的ともいえる西欧的近代化を実現することができたともいえるのだ。

対談の最後に、梅原がいった。「ぼくたちの仕事は、一粒の麦死なずば…なのですよ。だれかが撒いた一粒の種をだれかが受け継ぎ、最初の種とは違うものになったとしても、そうした種を撒くことでしかない…」
 
傍聴していた一人の若者が梅原に質問したあと、感想を述べていた。「震災で亡くなったいのちをどう受け止めていけばいいのか…それは、亡くなったいのちに対して、その死を無駄にしない新しい道を求め続けていくことなのだと感じました…」
 
麦は、自ら糧となることで、多くの実りを結ぶ。その実りとなるのは、残された人々ひとりひとりが糧となって死したいのちを明日へ生かすことだ。