秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

桂枝雀のこと

先日、BSで「桂枝雀を知っていますか?」で、天才といわれた桂枝雀の特集をやっていた。
 
じつは、私は落語が好きだ。とはいっても、CDを聴きまくるといったような熱狂的落語ファンというものではなく、戯曲や脚本を書く上で、また、演劇を学ぶ上で、大事な勉強だと思って、20代の頃、新宿の末廣亭にも足を運び、古典落語の本を読み漁った。

そのうち、とぼけた江戸らしい落語をやっていた、小さんや柳曻など、幾人かの落語家の噺が好きになり、もっとも、惹かれたのが、江戸落語ではなく、上方落語の枝雀だった。
 
枝雀の落語は古典の作品でも新しくなる。場合によっては、まったく新しい作品に生まれ変わる。

噺ぶりもすごかった。落語は、ひとりでいくつかの役を演じるわけだが、その切り替えのキレが異常といっていいほど、見事だった。そこにいるのは枝雀だけなのに、まちがいなく、生き生きと複数の人の顔が見える…それが枝雀の落語だった。

憑依といっていいものが枝雀の落語にはあったのだ。そして、この人は危いところで芸を紡いでいる人だなと直感した。それはのちに、枝雀の自殺というニュースで答えが返ってきた。

海外公演に出るというので、枝雀は英語落語もやった。これが、じつにおもしろい。単に落語のおもしさだけではなく、落語を英語にすることのおもしろさ、英語のおかしさまで噺に取り込んだ。
 
枕に入れる話は、だれもがやる季節や時候を題材にするありがちなものではなく、宇宙論や数学、哲学、物理学などの専門的な話題が多く、枝雀がじつに勉強熱心で、学術の分野にも造詣が深いことをうかがわせた。

 
落語家でありながら、どこかで落語家ではない枝雀がそこにいた。落語家枝雀をみつめている、もうひとりの枝雀が存在していた。
 
番組のインタビューの中で、「主観と客観を切り分けられる人だった…」と二男が語っていたが、まさに、いくつもの枝雀がいたのだ。
 
その多重性、複眼の視点が、枝雀の落語をおもしろくしていたと思う。当時、うつ病と診断された病名はいまでは確かか、どうか疑わしい。いまなら、統合失調症と診断されるような病状だ。

 
自分を空洞にして、多様な人間を生きる。自分を空洞にして、新しい学びをひたすら追求する。枝雀は、いままで食べたことのないうまいものに出会うと、半年でも毎日、それを食べて続けた。追及の人だ。求道の人だ。

しかし、これは落語家枝雀にいえることではない。美術や造形においても、演劇においても、音楽においても、枝雀のような人はいる。
 
その危うさを感じて、その前で足をとめてしまう人は少なくはない。数学の素数の謎のように、それを果てしなく追いかけてしまうと、本当に自分を空洞にしてしまう人間がいる。
 
素晴らしいなにかを残すが、それは容易に人に継承される類のものではない。まさに、天才と狂人の狭間を生きる者にしかできないことなのだ。
 
だが、だからといって身の安全ばかりやっていると、いまのように、おもしろい落語も、おもしろい舞台も、おもしろい映画も生れてはこない。ごくわずか、その危うさに足をかけたものだけが、一瞬、私たちに、おもしろいと思わせる作品をつくっている。