秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ただ足を運ぶ

足を運ぶことの大切さというのがある。足を運ぶだけでなく、相手の話を聞くということの大事さがある。
 
これだけコミュニケーションツールが充実してくると、えてして人は、大方のことはメールや電話ですませられると思う。あるいはLINEやFBなど、SNSでこと足りると勘違いもする。
 
また、足を運ぶことを自分の思いを伝えるため、自分の願いを相手にわからせるため、あるいは、自分のやりたいとこを相手に納得させるためと思いちがいすることもある。
 
だって、わざわざ足を運んだのだから…。だって、これだけのことしてるのだから…。あるいは、これはやらなくてはいけないのだから…。
 
違う。
 
足を運ぶということ、それ自体が大切なのだ。そして、足を運びながら、その労に対するなにがしかの代償を求めないことが大事なのだ。足を運びながら、自分のことを話す以上に、相手の話を聞くことが大事なのだ。
 
いいかえれば、声といってもいい。声でなければ、心の声といいかえてもいい。

ほんとうのところ、どうなのか。それを知るために、人は足を運ぶのだ。決して、自分の都合や自分の思いを吐き出すためではない。

私は、幸いにして、仕事柄、取材などで、人の話を聞く立場にならざるえない。カメラがあれば、取材マンでしかない。自分の考えも意見もある。だが、それを先にしては、取材者の声が聴きとれない。
 
声ではなくとも、表情や物腰、雰囲気といったものを観察することができない。
 
言葉も大事だが、じつは、それ以上に、その人の目や物腰、もっといえば、腹の底、腹の裏の方を読み取ることの方が大事なのだ。

建前やきれい事は、聴いていてもつまらない。だが、それでもそれを聴き続けると、必ず、そこから見えてくるもの、その裏にあるものがわかる。カメラは正直だ。映像は、どんなにきれいな事を語ろうとしても、その人そのものを見透かす。

だが、そこで、それを評価したり、裁断していたら、これまた、聴きたい声も聞き取れない。
 
だから、ただただ、足を運ぶということに徹する。それだけに意味を置く。そうすれば、こちらの思いや願いを相手や行った先の方が問うてくる。それまで、ただ、足を運ぶ。
 
それが人と、あるいは見知らぬ場所と心を切り結ぶ最初の一歩。
 
さて、ということで、明日から飛び石で、いわき行。26日27日は取材。5月に入って5日6日はCMロケ。9日10日は映画の上映会。飛んで、5月30日いわき市民文化センターで映画の上映。
 
いわきばかりに気をとられているわけではない。そのあと、長くお待たせてしてしまった郡山との約束を果たさなくていはいけない。そして、国見、会津も。
 
いずれも、ただ、足を運ぶだけ。