秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ありがたい闘争

寒の戻りのこの週末。久々、週末、東京にいる気分になる。

昨日は、午後から代々木公園のアースディへ。昨年、福島支援をやる団体の方が出店するというので顔を出してからすでに1年が経っている。
 
わずか1年ぶりのアースティ。この3年が充実していたということだろうが、本当に、その1年が遠い昔のことのように思える。
 
わずか3年の間で、私自身、いろいろな思いに出会ったし、いろいろな人との出会いがあった。そして、悲しい別れもあった。そして、周囲にもいろいろな変化もあった。
 
震災がなければ、生きられなかった3年。その濃密度は、普段の3年ではえられなかったものだ。同時に、そのことで、私自身、ずいぶん成長させてもらった。
 
ずいぶん前といっても、まだ半年ほど前のことだが、長い付き合いのNGO事務局長のKさんと2年ぶりに会った。やはり、福島のいわきの支援をしているNPOのもうひとりのKさんの仲介だった。
 
その帰り、2年ぶりの彼女に、モノレールの中で、「オレ、変わったと思うよ…」というと、「うん。思う。すごく変わったと思う」と彼女が答えた。

人が変わるとき、成長したとき、久しぶりに会う周囲の人が違った姿で見えるときがある。同時に、そういうときは相手も、いままでどこかが変わったな…と違った眼で自分をみているものだ。

闘争が思想を深め、闘争が意志を鍛え、闘争が決意を深める。そして、闘争が人をつくる…。

闘争という言葉を仕事と言い換えてもいい。取り組みとやわらく表現してもいい。
 
だが、厳密にいえば、やはり、闘争なのだ。しかし、それは、だれかへ向けたものではない。仮に、だれに向けた刃だったとしても、それは結局、自分への刃にもなる。また、自分への刃にできなければ、人の心を動かす闘争にはならない。
 
自分との闘い。未熟な自分との対峙。結局、闘争はそこに帰結するのだ。
 
そこから見えてくるもの、見えてくる風景、見えてくる人の真実がある。私は高校生のとき、その体験をした。そして、いま、改めて、その体験をさせてもらっている。
 
ありがたいとことだ。いくつになっても人は学べ、そして、それまで見えなかった世界の新しい姿と出会うことができる…。