秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

コンクリートの塊

だれもが経験することだろう。自分の卒業した小学校や中学校…あるいは自分が育った地域というものは、記憶の中で、自分がそこにいた時間のまま止まっている。
 
子どもの頃から大人になるまでひとつの地域で生活できる人は、いまはもはやそう多くない。それぞれに自分のいた地域や学校の記憶というのは、変わらない風景、変わらない記憶として残されている人は少なくないだろう。
 
そして、なにかのときに、かつて自分が生きた地域や通った学校の風景を目にして、ああ変わってないなぁ…と思うこともあれば、ああ、すっかり変わってしまったな…などと時間の移ろいとその移ろいにも変わらないなにかを感じたりしながら、人は過去をなつかしむ。
 
だが、それも、記憶の手づるとなるなにかの片りんがあってのことだ。50年、100年もすれば、多くは、そんな手づるはなくなってしまうのかもしれないが、生きてる間は、なにがしか、そうした残像というのは普通は残していたいと思うものだ。
 
しかし、東日本大震災で被災した海岸線の多くがその記憶の残像さえ残されないほどに、大きく変わろうとしている。
 
津波で家を流された、久ノ浜のよさこいの会長さんが、以前、復興を進めなくてはという会話をしていて、私がふと、住宅の基礎も撤去しなくてはいけないのでしょうね…というと、必要なことなのだろうが、それがなくなると自分たちが生活していた記憶のすべてがなくなってしまうような気がする…
 
そう無念そうに、おっしゃったことをよく覚えている。
 
がれきのなくなった跡地は、そうした意味で、どんなにセイタカアワダチソウに覆われてしまおうが、ひとつの人の生活と街の記憶の証明でもあったのだ。

昨日、薄磯にいくと、年度末の決算へ向けてなのか、今年になって本格的にはじまった基礎の撤去がものすごい速さで進んでいた。
 
進捗の差はあるが、いずれ多くの地域で同様のことが進む。
 
それをながめながら、なにか無性に腹が立った。直情的な怒りではない。寂しい怒りだ。
 
被災から3年になろうとするいま、いろいろな人の欲や不満や対立といったものが被災地のいたるところで起きている。
 
そうした被災地の現実から遠く、そうしたいろいろな思惑や打算や欲望がある中でも、前を進もうとする人々のせつなさもわからず、心にも、思いにも手の届かないところで、支援や援助などとまことしやかな言葉や顔が行き交っていることに、寂しい怒りが静かに沸いてきたのだ。

山積みされている基礎のコンクリートの塊…そこには人の生活とそれを続けられなかった無念と、変わってしまうことで失ったものと、それでもいろいろな思いを断ち切り、次へ進むしかないという覚悟と決意がある…
 
それがみえない、わかっていないところで、大仰な言葉もふりもしてはもらいたくない。少なくとも、それをわかるために、自らが血を流すことを忘れてはもらいたくない。

そして、それをやっているような気にはなってもらいたくはない。