秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

足尾から来た女

先週と今週のNHK土曜ドラマ足尾から来た女」。池端俊策氏のオリジナル脚本。骨太な社会派ドラマ作家で、私が高校生の頃から尊敬しているテレビドラマ作家のひとり。
 
主演は、生活感のある演技では随一といっていい尾野真千子。是枝監督の「そして父になる」は、じつは福山ではなく、尾野や真木よう子、そして、リリーフランキーの演技でもっている作品。

NHKのキャスティングがいいのは、重要な脇役で実力を発揮している尾野をこの作品の主演に据えていることだ。見た方はわかると思うが、この役は尾野しかいなかったと思える。

物語は、縦軸に栃木県谷中村の名もない村の娘、新田サチの眼をとおして、当時の社会、国の姿を描き、字の読めない彼女が、自分たちの生活権、人権を守るためには、識字が必要なことに目覚めていく姿を、横軸に、3.11以後、土地と家、ふるさとを奪われた福島県双葉郡を想起させるように、足尾銅山鉱毒事件によって土地を奪われていく人々とそれを許す国政、県政に対する市民運動、闘争を描いている。

FBでも紹介したが、前篇の重要なシーンは、東京に出てきたサチが、東京の人はだれも足尾銅山鉱毒で死者がでて、農地が汚染されている谷中村のことなど考えていないと痛感し、その思いを足尾銅山の閉鎖を訴えている国会議員の田中正造に迫るところだ。
 
国、県の弾圧と切り崩しで、谷中村の世帯は16世帯しか残っていない。「たった16の家で、なにができるんですか?」。サチの言葉に、田中正造はいう。「都会は、町からできたんだ。町は村からできたんだ。村はたった一軒の家からできたんだ。一軒の家、ひとつの村、ひとつの町…。それを犠牲にするような野蛮国は、必ず滅びる。だから、たとえ16軒でも闘う」

いま東京都知事選挙最中だ。細川氏や小泉氏のいう原発即時ゼロを荒唐無稽だと笑う人がいる。終った政治家がなにをいうと小馬鹿にする声もある。
 
私はそういう輩に聞きたい。では、おまえらは、いま東京の電力がなにを犠牲にし、なにを押し付け、なにを切り捨ててあるのか。自分たちの毎日の暮らしはなにによって支えられているのか。
 
その東京で、オリンピックをやれば国も豊かになるというが、その最大の恩恵をうけ、一番いい思いをするのはだれか。その電力や資源はどこからもってくるのか。
 
自分たちのお祭りであるオリンピックにすり替えて、いま福島が背負云っている現実を少しも理解しようとせず、また、原発及び核廃棄物を東京に引き受けようともせず、これまでの東京ひとりがちの反省と検証もなく、地方を犠牲にすることを当然とする社会が続いていいのか。米軍基地や原発や核廃棄物を引き受ける覚悟もなく、都知事選を語るな…私はそう思う。

それはドラマにあった田中正造の言葉のように、野蛮な首都だ。野蛮国の品性のない首都だ。滅び行く都市だ。
東京オリンピックは、東北・東京オリンピックでなくてはならない。そして福島の教訓を他の地域、地方の教訓にしていかなくてはいけない。

地域や地方に犠牲をしいらない都会の生活とはなにか。それを考えれば、そこには当然、自分たち都会において、何が犠牲にされ、何を守っていかなければならないかが出てくる。福祉も教育も防災も、基本の軸をそこにおけば、高齢者、女性、子ども、格差によって見捨てられているものへのまなざしにかわる。

細川氏、小泉氏がいっているのは、その根本の基準をかえない限り、生活者に届く都政は生まれないといっているのだ。基地や原発の既得権と密着した、自公にそれができるわけがない。
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