秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

伝わっている

昨夜、気仙沼の支援事業を震災後続けているMさんから、「国連持続可能な開発のための教育」(Education for Sustainable Development) いわゆるESDの円卓会議委員でもある、気仙沼教育委員会の0先生を紹介された。
 
震災当時は、地元の小学校の副校長をやり、先輩の校長先生もご自分も家は津波で流された。児童たちの多くは無事だった。だが、地震直後、学校に迎えにきた保護者と帰宅した子ども、5人が津波にのまれて亡くなった。
 
その悔恨と自責はいまも続いているという。
 
紹介してくれたMさんは、メンタルケアの会社の経営者で、うちの社会映画や教育作品の制作協力してもらっている。
 
MさんのスタッフのIさんにアドバイスをもらい、今期、うちの会社が東映からリリースするドキュメント2作品とドラマ1作品の共通テーマとして、子どもの外傷後成長 PTG(Posttraumatic Growth)を題材することにした。そのドキュメントのいい取材先がないかとMさんに相談したのだ。
 
ならばと昨夜、忙しいO先生をつかまえて、意見交換のできる場を設けていただいたのだ。

じつは、すでに、いわき市の小学校で取り組まれている事業やいわき市に拠点を置く、震災遺児・孤児の支援をやっているNPO法人の取り組みとそこの理事で、臨床心理士の先生の取材も終わっている。追加取材で21日には、その孤児たちのイベントに、カメラを持ったサンタになって参加する。
 
しかし、この題材とテーマは、うちの会社で、シリーズとして追いかけたいと思っている。同時に、MOVEのつぎの事業のひとつしても考えている。そのために紹介をいただいた。
 
テレ朝の55周年ドラマ「オリンピックの身代金」について語った前回、前々回のブログを読んでくれた方は、私がいまなぜそれに取り組もうとしているかがわかるだろう。
 
初対面ながら、O先生に今期のドラマ作品の内容やそのねらいなどで共感いただいて、語り合ううちに、私がMOVEの活動の中で、常に提唱している地域の自立やこの国のシステムの変更の必要性の話題に広がっていった。
 
O先生がかかわっているESDは、じつは、震災と無縁ではない。

震災が明らかにした地域の課題、高齢化少子化や地域内及び地域と都市における格差、都市においても生まれている域内格差。地方といえども、急速に進んでいる無縁社会
 
そして、今回の原発事故があきらかにした、持続可能な自然エネルギーの問題など、次の時代に求められる取り組みとそのために必要な人材の育成が主たる活動の目的だからだ。それを世界規模で、国連主導で進めている。

既存の価値やシステムを鵜呑みにするのではなく、自覚的、自発的、自立的に物事をとらえ、既成の常識やルールから自由になり、豊かな発想で、次の時代に求められる、あらたな基準や取り組みの地平を拓いていく。
 
そのために、どのような教育が必要かを検証する世界的な取り組みなのだ。

じつは数日前に国際的な研究発表がされていると、NHKが報道していた。不思議なもので、そのあとすぐにO先生と会うことになった。

震災後、いわき市の市役所や地域の関係団体にいっても、MOVEはなにものか…といった表に出ないが対応があった。その後、ひとつひとつ信頼される団体としての活動を積み重ね、いまでは福島県内の地域行政、広域行政、さらには復興庁に少しはその名が知られるようになった。
 
だが、それは、常に、その先にこれがなくては…という主張とその実践があったからだ。いつもいうが、問題は福島だけのことではない。福島の姿と現実を通して、この国の地域のあり方、この国が抱える課題、ひいては、世界が抱える課題を共有していくことだ。
 
決して大仰ではなく、その志の中で、いまある現実、いまある眼の前の人にこわだり、地に足のついた活動を展開することだ。だが、決して、支援ではなく、与えるのではなく、互いが刺激し合い、協働し、創造する活動でなくてはいけない。それを共にする運動でなくてはいけない。

今回の福島応援学習バスツアー。いわき市での懇親会に、新市長がどうしても出席したいといってくださり、時間調整をして、参加していただけることになった。政治的なことは考えていない。行政に依存する気も、政治家に頼る気持ちもない。大事なのは依存ではなく、連帯なのだ。
 
だが、震災直後は海のものとも山のものとも思われなかったMOVEの活動が、そうした場を持つことができるまでになっている。
 
市の担当者に机をたたいていたのが、3年近く前。私は、これからも机をたたくだろう。だが、その思いは、きっとたたいている相手にも、そして、こうして自分と考えを同じくする人との出会いでも、伝わっている。

その確信をまた、ひとついただいた。商売でも、名誉や名声のためでもなく、ただ、いとしいと感じた人々のために。そうすれば、悲しみと苦しさは、棚上げにできる。