秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

月が照らしていた

私が福島で知りあった人々には、それぞれの生活と主張と思いがある。
 
震災・津波という天災の上に、原発事故という人災を被り…
 
その理不尽さや不条理さが、よりそれぞれの生活意識や生き方の姿勢を多様にし、複雑にした。一概に、被災者という言葉だけ括りきれない現実と多様性をそれぞれが生き、また、復興・復旧でも、その目指すもの、願うもの、求めるものの相違と差異を抱え込んだ。

わずか人口34万人ほどのいわき市においてさえ、津波被害を受けた浜の地域とそこから30分ほどの市街地住宅では、生活の姿も抱えている現実の重さも違う。
 
また、同じ浜でも、隣りの浜とは、それまでの地域の括りと枠組が違っていた分、震災後の姿も同じというわけではない。
 
もっと広域に見れば、原発避難地域の人々と避難地域ではない人々のそれも大きく違う。福島県浜通りと中通が抱える現実の重さもそれぞれに違い、会津地域が直面している課題もそれらと同じではない。
 
だが、その一応ではない、生活意識や生活欲求の相違が顕著であるという厳しい現実は、不和や不調和を奏でながら、同時に、ちぐはぐで、モザイクのような歪さのなかに、ふと不協和音を生み出すことだってある。

問題なのは、自分たちの抱えている現実をにぎわいやハレでごまかし、目先を変え、何事もなかったように素通りすることではない。

不和や不調和、歪なモザイクを切り捨てたり、そこに覆いをかぶせることではなく、それらを受け入れ、自分たちなりのやり方と創意工夫で、都会ではなく、自分たちの土地や地域にこだわりつつ、なにがしかの音を奏でることだ。
 
私は3年以上に亙る、福島との関わりの中で、いま、わずかだが、その不協和音を組み込んだ、いつくかの取り組みや新しい生活をスタートさせている人たちの姿と音楽に耳を傾けている。
 
それは、また、アンサンブルまでには至っていないかもしれない。パートでなにがしかの曲を奏でるのが精一杯なのかもしれない。いや、まだ、パートすら組めず、単独の音を奏でるだけで終わっているものもあるかもしれない。
 
だが、私はそれを恣意的に、何かの意図やねらいを押し付けるように、融合させたり、連携させる必要はないと思っている。
 
つながり、パートを編成し、アンサンブルが奏でられるまでに集合していく力は、その人たち自身の内発的動機と願いの深さがなければいけないと思うからだ。
 
集合し、編成し、指揮をとりたい人たちは、いろいろにいるだろう。だが、そう願う人たちには、どこかに名声欲や物質的な欲求が見え隠れする。そのようなものに、翻弄され、無駄な時間と労力を使うより、内発の動きを醸し出すための地道な取り組みをひとつでも積み上げた方がいい。

私にできることは、その内発の動きを醸し出すヒントや意欲を引き出す手伝いをすることくらいだ。主役は、私や私の団体ではない。福島の人、その人たちそのものでなければならないからだ。

それも、何事か仕掛けるような取り組みをする人たちではなく、自らの足元をもっとも大事にし、市井のごく当たり前の生活を送る身近にある人たちと共に歩める人でなくてはいけない…と思う。

その願いを強固に持つほどに、また、地域のそういう人たちが、私の目の前に次々に現れる。私がいま福島で出会っている、新しいいくつかの出会い。
 
それは、また、私自身を、私の活動を、いままで以上に、大切なものへ近づけてくれている。
 
昨夜、いわき日帰りの疲れ切った体の奥で、そんな声が私には聞こえていた。乃木坂に23時30分に辿りつくと、そんな私を月が照らしていた…。