メガネの話
5年ぶりくらいに、いまあるメガネと別に、新しいメガネをつくることにした。小学生の高学年から数えきれない数のメガネをつくった。その中でも、いま使っているものは、NO1のお気に入り。
メガネをかけている人は知っているだろうが、フレームは数年経って、まったくそれと同じものを探すというのがとても難しい。モデルが変わるからだ。
高齢で、お金持ちの方が通うような老舗眼鏡店などでは、鼈甲など古典的なフレームは必ず置いてある。だが、ファッション性の高いフレームになるとそうはいかない。
ボストンスタイルといったトラッドなものでも、まったく同じ誂えのフレームをみつけるのは至難。だから、5年以上もかけていて、だいぶ、痛んでいるのだが、いまのフレームには執着が深いのだ。
私は、だから、うちのNPOの連中や撮影の秀嶋組スタッフや俳優たちがうわさするほど、浮気性ではないw
一度、これと惚れたら、いろいろあっても、できるだけ長く付き合う。そうあろうとする。やむなく、別れるときは、もうついていけない…と逆にメガネがメガネであることに疲れたときだw
せっかく、私のメガネにかなったのに、もう少しがんばってほしかった…そう思うことが多いw メガネはないと困るので、壊れれば、すぐに次を探すしかないが、それ以外では、そんなに容量よく別にはいけないのだ。これは信じていただきたいw
じつは、このところの忙しさ。とくに台本や書き物、編集といった作業が押し寄せていて、天気のいい日に外に出ると目がやられる。若い頃、舞台をやっていたときからその気配はあったが、映像の仕事をやるようになって、それに拍車がかかった。舞台をやっているときは、度入りのサングラスを離せなかった。
じつは、このところの忙しさ。とくに台本や書き物、編集といった作業が押し寄せていて、天気のいい日に外に出ると目がやられる。若い頃、舞台をやっていたときからその気配はあったが、映像の仕事をやるようになって、それに拍車がかかった。舞台をやっているときは、度入りのサングラスを離せなかった。
いろいろなことが重なり、今年の年末から年始、そして節分すぎまで、身動きがとれなくてなってきている。うちの映画と受注物の映像作品が4本重なった。音声CDの制作もある。
せっかくのまばゆい光が、このところ目に染みる。ならばと、この間、ミッドタウンの店で思わずサングラスを買ってしまったのだ。メガネに着脱式のサングラスは持っているのだが、度入りでないサングラスを買ったのは久しぶり。で、それに度入りのカラーレンズを入れることにした。
検眼すると、乱視と遠視が進んでいる。私の目は、近視、乱視、加齢による遠視のオンパレード。
検眼すると、乱視と遠視が進んでいる。私の目は、近視、乱視、加齢による遠視のオンパレード。
目が曇りやすい。だから、もっと真実の姿を見抜きたい。そう思えるのかもしれない。いや、それに貪欲になれるのかもしれない。
物事なんでもそうだが、くっきり見えるものではなく、くっきり見えないものの方に、物事の真実とは潜んでいるものだ。すべからく、よく見えるものには用心した方がいい。
そこには、必ず、虚偽とまやかし、あやかしが潜んでいる。