秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自問するいい言葉

「登りはじめたら、決して頂上を見上げるな。周りも見ないことだ。足元だけを見て進めば、いつの間にか頂上に着いている。見るなら太陽を仰げ。俺はあそこまで登るのだと」
 
ある大手マスコミ系企業の4代目社長の言葉らしい。FBとツイッタ―をリンクさせている、ある方のウォールで拝見した。この言葉を餞(はなむけ)にして、若い社員を富士山登頂へ見送る…それが慣例だったらしい。
 
前にも書いたが、人は可能性を考える。歳を重ね、経験を積み、社会というものの姿、きまり、常識というものを多くの失敗から学び、学んだ分だけ、人は保守的になる。そならざるえないくらい、守らなくてはいけないものも多くなる。それが大人になることであり、大人であること…そう教えられてきたし、そのように育ち、社会に出て、そうやって歳を重ねてきた人は少なくない。
 
オレ自身もあるときまではそうだった。
 
東映の仕事を始めるようにになった最初、オレはいまでも付き合いのあるプロデューサーの方にいった。
 
「いままで東映でつくってきたような作品はボクはつくりません。教育作品にせよ、社会映画にせよ、自分がそれを見せられてつまらないと思ってきた。教育映画や社会映画を購入するのは人権関係や行政関係の決裁権のある大人、あるいは学校の教師や管理職。しかし、そのメガネにかなうものをつくっていては、ボクがかつて感じたように、実際に作品を観る人々、学生や生徒たちの心には届かない。ああ…、また、大人がわかったようなことをいっている…映画人が知ったようなことをいっている…そうとしかとらえないでしょう。そんなものは、ボクにはつくれません。いままでとはまったくちがった作品をつくることになりますが、それでも構わないでしょうか? もし、それができないなら、ボクが本を書き、監督をやる意味はありません」
 
オレには確信があった。視聴者がいいと思う作品をつくれば、それを視聴させた側の常識を変えることができる。こういう作品の方が学生や生徒、あるいは大人の視聴者は、時間をやり過ごしたり、うたたねをしたりしないで見るのだ…。その現実を見れば、大人が変わる。それをやることで、逆に安全で、常識的な教育映画や人権映画の壁を越えることができるはずだ…そう思っていた。
 
東映の自主企画、あるいは行政や団体の企画コンペでも一貫して、それを貫こうとした。そのために、プロデューサーとぶつかることもあった。結局、あの監督は面倒だ…という分類のされ方もされてきた。
 
しかし、そういう姿勢でつくり続けていても、やはり、どこかでこうした作品をつくることが器用になり、また、手慣れてくる。結局、自分自身の作品がパターンになってきて、新鮮味を失うということになっていく。それは、オレがいままでのような作品…と批判してきたような作品性に陥ってしまうからだ。
 
監督の個性というのが強すぎるとうまくいかない分野というものがこうした作品にはある。映像作品に限らず、イベントなどやシンポジウムでも、秀嶋流とよくいわれることがある。メッセージ性が強ければ強いほど、そういわれてきた。それは自分の中の思いと確信への執着となってしまっている場合もある。思いは通じる。その確信のために、なにかをなぎ倒しても実現したい…そういう強引さがある。
 
それが必要なときとそうではないときがある。それがわかり始めたのはこの数年前w
自分の思いを形にするためにと、だから自主制作作品にも取り組み始めた。尊敬する新藤監督がそうだったように。

今期のうちの自主作品の概要を練っていて、ふとそんなことを考えた。そろそろ、このジャンルの作品では現わせないところにまで来てしまっているかもしれない。もちろん、それには3.11も大きなきっかけにはなっている。

福島のことに取り組みながら、自分が目指しているものに、オレは果たして、冒頭の言葉にあったように、ひたむきなのか…自問するいい言葉をもらった気がしている。