秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

美しく生きる

人は一生の間にも、幾度か生まれ変わる。
 
大方の人は、自分はずっと一貫性持って生きている。あるいは、多様な一面はあるが、自分はこうして生きてきて、このように日々を積み重ね、いまこうしてある…と考えるだろう。
 
しかしながら、それは大きな間違い。脳が自己を保つために生んだ錯誤だ。

よく、自分の人生の節目やいまの職業や家族、あるいは生活そのものが導き出される以前の自分といまある自分とを冷静に、他者の目でみつめてもらいたい。そうすれば、どこにも自分というものの一貫性も、記憶や認識の正しさもないことに気づくだろう。
 
度々、引用する、サミュエル・ベケットプルースト論の一節にあるように、「昨日の自己は今日の自己ではない。明日の自己は今日の自己ではない」という現実が、実は、人々を覆っている生の現実なのだ。
 
それに加え、人が大きく変わる。あるいは、それまでの生活のステージとは違う広さや大きさを獲得する…という姿には、日々の生まれ変わりとは、また別の次元の大きな転生が潜んでいる。
 
それまでの延長にあるようで、実は、人との関係やつながりまでもが大きく変容する。社会とかかわる立場や居場所、位置も大きく変わる。そのことによって、さらに、その変化は大きなものになる。

それは何も新しい人間関係や人との出会いばかりでなく、変わる本人の変化によって、これまでの人とのかかわり方までもが、大きく変わり、それまでは、この人はこういう人だ…と認識していた姿が、自分にとって、より大切なものに変わるということが起きる。
 
あるいは、大切なものだとどこかで執着ていた心が自由になり、その人間の本質が見える…ということもあるだろう。

人は、知性と教養を磨かなくてはいけない。気取った表層的な質のものではなく、困難にある人や悲しみとともに生きる人々にも、通じる知性と教養だ。高層マンションの清潔を絵に描いたような人間的なものを排除した世界で聴くオペラではなく、貧しさや侘しさや儚さや虚しさを抱きしめながら、途轍もなく、人間的な今日を生きる人々と会いまみえながら、オペラを聴き、感じることだ。
 
人間の尊厳とは何かを考え続け、求め続けることで、日々生まれ変わる自分の不明性と曖昧さに、人は唯一、自分とは何者かという担保を獲得できるからだ。
 
それがあれば、どのようなステージの直面しても、愚かな自己同一を主張したりせず、言葉だけの友情や信頼といったものとは別の世界へたどり着ける。
 
美しく生きるとは、自分の不明性をよく知り、学び、今日いまという時間を他者の尊厳を守るために生きることでしかない。