秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

めがねの悲しみ

眼を酷使する生活をずっとしている。これは、オレが小学校の中学年の頃から本の虫になってからずっと続いている。そのせいで、小学校の5年からめがねをかける生活になった。
 
当初は、近視よりも乱視が強かったのだが、中高と進むうちに、近視も進んでしまった。勉強をがんばったからではないw。たぶん、本ばかり読んでいたのと、芝居を始めたのが大きな原因。出演している側ではなく、スタッフや観客として舞台を見つめる側にいると、どうしても光量が低いため目を酷使する。

オレが舞台に詳しいのは、15歳の頃から裏方のすべてをやらされたからだ。うちの高校演劇部の先輩やOBたちは、ことのほか、裏方の仕事にうるさかった。また、その流れで、ずいぶん芝居を観にいかされた。15歳、16歳くらいの高校生が毎月、プロの舞台を2本は観ているというのは普通じゃないw それにテレビドラマが好きでよく見ていた。

当然ながら、受験勉強をやっていれば、眼を酷使する。大学に入れば、なおのこと。やらない奴はやらないが、オレは、芝居やバイトで時間がなかったので惜しんで学科以外のことも勉強した。いま、オレがあれやこれや何かにつけ、専門的な話題でもついていけるのは、そのときのおつりがあるからだ。
 
社会に出て、学んだことや自分から興味を持って、意図して学習したことも多いが、大学時代のそれがベースになければ、学ぼうという意欲も興味も沸いていなかっただろう。社会学も、哲学も、歴史に、心理学や精神医学も、美術や音楽といった芸術も、政治経済も、教育も医学も…すべては、人間を知りたい…それがあったからだ。すべてが演劇の役に立つと思っていたし、実際、そうなった。
 
で、映像の世界に入ると、それまで以上に眼を酷使することになった。なんたって、撮影現場だけでなく、編集作業で一秒の30分の1や24分の1にこだわるのだから、当然、眼を痛める。1週間ほとんど睡眠時間もなく、スタジオにいたこともある。いまでも、編集に入ってしまうと、とめられない。編集作業とはそういうものなのだ。むちゃくちゃ作品をこなしていたサラリーマン時代は、しょっちゅう眼が痛くて、氷や冷凍剤がなくてはいられなかった。
 
で、40を過ぎた頃から遠視が始まり、ますます世の中が見えつらくなった。かすみ目など遠い話だったのが、いまでは超普通だw 夕方を過ぎてくると、朝より視力が落ちているのが実感できるようになってしまった。
 
乱視に近視に遠視のオンパレード。これでは夕方過ぎると世界がかすんでくるのは当然w
 
いや、実は、オレの眼がかすんでいるのではなく、世界の方がかすんでいるか?…w しかし、かすんでいるからおもしろい…ということもある。
 
円地文子のエッセイに「めがねの悲しみ」というのがある。物事、あまりはっきり見えない方がよいこともある…という落ちになっている。
 
そうかもしれない。