秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ささやき

ブログだけでなく、FBをやるようになって、そして、震災がきて、地域の問題を改めて考え、行動するようになって、それまでかかさず更新していた、自分の公式HPがとまった。
 
一番大きかったのは、FBの可能性に私自身が魅了されたからだ。人ぞれぞれソーシャルネットワークの活用の仕方がある。世代によっても、かかわる人間関係によっても変わるだろう。
 
だが、私のように、メッセージにこだわり、なにがしか自分の考えを伝え、それへの共感や賛同によって、ネット上だけではなく、現実的な社会行動に結び付けたいと考えている人間には、ツイッタ―でも、ミクシーでも、ラインでもなく、FBが絶対だったのだ。

一番大きいのは、データ量に制約がないこと。そして、ほぼ実名と実履歴の中でないとネットワーク上での信頼や信用もえられないという縛りがあることだった。

相手の信用度を図るためにではない。私自身が発言している内容の信頼性を担保できるからだ。その信用の上に発信する私自身のメッセージは、他のツールよりも当然、他者にとって高くなる。

SNS上で濃密さを生み出すためには、排他性も重要な要素だが、FBは、他のSNSに比べて、排他性が薄い。
 
もちろん、FB内でしか発信、交信されないという排他性はあるが、その個人データの信頼性の高さから、賛同するものにはリピート率が高くなる仕組みになっている。

WEB、NETには、WEB、NETだからこそ、必要なある仕掛けがいる。排他性にこだわっている人間は別だが、できるだけ多くの共感をえようとすれば、情報の発信に配慮もいれば、計算もいる。あるいは、配慮や計算を度返しして、実直に語るという真摯さもいる。
 
それが私には心地よかったのだ。
 
ところが、昨日の朝、見ず知らずの方からオフィスの電話の方に問い合わせがあった。
 
自分の名前も語られなかったが、用件ははっきりしていた。「あ、秀嶋さんですか。そちらでは出版事業もやってらっしゃるとありますが、公式HPにある、今月の評論OUTは、本にはならないのでしょうか…」
 
じつは公式HPを始めたとき、しかもそこに毎月の時事や世情をとらえた社会分析をやり始めたとき、どこかでひとつにまとめる気持ちでいた。社会の実相をいろいろな視点で分析するから、専門的な引用もあり、このブログとは違い、内容は硬質で、語り口も平易とはいえない。
 
映画の自作品の告知以外、震災の翌月からほぼ、3年も更新していないHPをみて、そうした問い合わせをいただけたことはありがたかった。
 
本にする予定はいますぐにはない…と答えると残念そうに電話を切られた。そして、やはり、どこかでまとめるべきだなと思わせていただいた。
 
いま目の前にある、取り組まなければいけない事象に懸命で、それをやることをまったく棚上げにしていた。基本、私は振り返ることがあまり好きではない。
 
過去に書いたものや語っていることをなにがしかまとめ、整理するというのは、ある意味、過去を振り返ることだ。それよりも、いま伝え、描かなくてはいけないことを語り、微力ながら、映画という表現をつかって、それを浮かび上がらせようとしている。
 
また、それは映画だけにこだわってはいない。あらゆる活動、あらゆる場面をつかまえて、それをしようとしている。
 
いますぐには無理だが、来年はそうした取り組みを始めてもいいかもしれない…走ってばかりの私に、だれかか耳もとでそうささやいてくれたのだろう。