秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

そのとき

今期映画のドラマ作品の一本に窮しながら、同時に、「福島応援学習バスツアー」の参加者募集を自らもやり、メンバーのケツをたたいていた。
 
経費ギリギリの40名が達成できないようなら、団体の力の底が知れている。私はそう思っていた。その数が覚束ないようなら、NPOとしての団体の意味も意義もない…そう思ってもいた。
 
社会の一線で働き、それなりの立場やそれゆえの苦労もある中で、自身の時間を社会貢献のために割くというのは、口でいうほどたやすいことではない。

また、ただ時間を割くだけではなく、ツアーそのものに、金がかかるだけではなく、それ以外の飲食やみあげといったものでも金がかかる。
 
働き盛りの30代、40代が、それなりの仕事をしていれば、どういう生活になるか、私自身を振り返ってもよくわかる。あのときの自分だったら、まずいまのような活動はいろいろな点でてきていなかった。
 
また、私たちの世代のように、仕事のため、自分のこだわるなにかのためには、家庭を犠牲にすることも厭わないといった非常識が通じないいまでは、自分のことばかりでなく、家族の合意や根回しが必要だということもあるだろう。
 
そうしたことは重々承知している。
 
だが、私のように仕事と社会事業の端境もなく、それ自体が仕事であり、自分のミッションのようにして、日々を送り、かつわずかばりの資産を投じろといっているのではない。
 
血を流すのは、私ひとりでいい。だが、これといった明確で継続的な活動ができないのだから、せめて、スポットとしてある事業には、できるかぎりのムリをやってもらいたいのだ。
 
応援してくれる人たちが、できることをと取り組んでいて、本体である自分たちがだれかがやるだろうでは、話がすまない。話がすまないどころか、人としての道義にも劣る。
 
人には周囲の評価を決める、「そのとき」というのがある。

それは人だけでなく、企業にせよ、団体によ、なにかの集まりにしても同じだ。「そのとき」をきちんとした構えと覚悟で克服できるかできないか。かりに克服できなかったとしても、居住まいをただし、それに臨んだかどうかは、あとあと途轍もなく重要なことなのだ。

私の団体には、重篤な病気と1年近く闘っている仲間がいる。
 
彼は、ベンチャー企業の副社長という立場で、会議にもでられないときもあれば、懇親会に参加できないことの方が多かった。だが、「大いわき祭」や「福島東北まつり」といった、私たちの活動の成否にかかわる場には、万難を排して参加してきた。
 
いつも口ぐせは、普段なかなか活動に参加できないですから、せめて…だ。

今年のイベント開催時期の前も、「そろそろですね」とベットの上で気遣ってくれた。
 
いま実施テスト中のSmart City FUKUSHIMA MOVEの制作スタッフをネットワークをつかって人をみつけ、紹介してくれたのも彼だ。
 
要所要所で、「そのとき」というときに、できるだけのムリをしてくれている。
 
いまは体を治すことが先決だが、彼が元気なら、やはり、今回の福島応援学習バスツアーが、団体にとっての「そのとき」ということをわかり、行動してくれていただろう。
 
その思いを私は、仲間にも共有してもらいたい。
 
もちろん、していないわけではない。それぞれが限られた中で、自分にできることをと心を砕いてくれているのはわかっている。それでも、思うようには動けないという現実もわかる。
 
もともとうちは自由人の集まり。それができないからといって批判や批評はしない。
 
だが、せめて、「そのとき」だけは、共に生きてもらいたいのだ。
 
少なくとも、彼は、この活動だけではなく、仕事も含め、思うようにやりたいことができない中で、それでもきっと心を砕いてくれている。
 
元気でいる私たちは、それに恥じることはしてはいけない。そして、その思いも共に、今回のバスツアーに持っていかなくてはいけないと思っている。
 
現実に、自分は諸般の事情でいけなかったとしても、周囲へそれを知らせ、声をかけ、あるいは声援を送り続けるということの中に、「そのとき」は共有できる。
 
その積み重ねが、自分にとっても、周囲にとっても、「そのとき」を生きる喜びに変わるのだ。
 
そして、それこそが、口先や見せかけの正義といった浅薄な言葉や行動でなく、本当に福島を生きる人の心に届く、唯一の手がかりなのだ。