そういう顔
週末の高校東京同窓会の翌朝、朝8時のひたちでいわきへ。ところが地震で40分遅れの発車。
12月7日8日に実施する「福島応援学習バスツアー」の現地受け入れ団体や責任者のみなさんへのあいさつ回り。豊間・沼ノ内・薄磯で日々取材しているSちゃんの応援があって、じつにスムーズに段取りが進んでいる。
また、とまとランドのMくんやMOVEのメンバーであると同時に、いわきの農業事業の新しいステージを拓こうとしている仲間たちの協力もありがたい。ちょっといい加減なところのあるw 元福島民報のKさんは、地元メディアへの告知は前回同様しっかりやってくれるだろう。
月曜日、挨拶まわりがおわって、じつは、ひとりで訪ねようと思っていた団体があった。
月曜日、挨拶まわりがおわって、じつは、ひとりで訪ねようと思っていた団体があった。
その窮屈で、歪な生活空間の上に、生活再建のために新しい仕事や環境に適応しようと大人たちは必死だ。逆に、すべてを放棄して、補償に頼るだけの生活になってしまっている人も少なくはない。夢や希望が描けないからだ。
そうした大人たちの姿を目の当たりにして、子どもたち自身、心に受けたトラウマを発散させる場や機会がどこかで奪われている。家族の喪失を経験していない子どもでさえそうなら、家族を失い、児童養護施設や親族里親、あるいはまったくの他人にひきとられた子どもたちの心への圧力は幾倍にも増す。
それに取り組んでいるNPO法人がいわきにあると知った。ところがだ。FBからプリントアウトした親のための交流講演イベントのチラシをSちゃんに見せると、「そのNPOをやってるの、うちの社長…」と絶句した。
灯台下暗し。縁は奇なもの、乙なもの。これまたとんとんと話が進んで、すぐに理事長さんと面談ができた。
これは、じつは、うちの今期の社会映画の3本のうちのドキュメンタリー制作2本の題材にしようとしているものなのだ。おかげで、さっそく次の日曜日に取材ができることになった。
灯台下暗し。縁は奇なもの、乙なもの。これまたとんとんと話が進んで、すぐに理事長さんと面談ができた。
これは、じつは、うちの今期の社会映画の3本のうちのドキュメンタリー制作2本の題材にしようとしているものなのだ。おかげで、さっそく次の日曜日に取材ができることになった。
東京に戻り、用件がなくてもいわきから戻ると立ち寄る、いわき七浜へ。今回は、東映のプロデューサーのKさんと久々会う約束をしていて、ならば、池尻の店へと誘った。相馬の支援をやっているMOVEメンバーのY子が商品写真撮影で協力してくれる店を探していたので、一週間ほど前にいわき七浜のSちゃんを紹介していたのだ。
どうせ、いわきから戻っていくだからと、昨日で撮影をセッティングしてくれて、都合4人で飲む。いわきでも飲んで、東京でも飲んで…。
「福島東北まつり」を延期して、時間ができたと思っていたのだが…私は、やはり、まぐろのように、泳ぎ続けていないとダメらしい。
「福島東北まつり」を延期して、時間ができたと思っていたのだが…私は、やはり、まぐろのように、泳ぎ続けていないとダメらしい。
あとのことを考えると、20日までにショートフィルムの台本を書き上げなくてはいけない。その話をすると、Y子が不思議なことを言う。
「いい作品だっていうのがわかる…」
「どうして?」
「そういう顔になってる」
「うん?」
するとKプロデューサーまでもが、「ああ…いえてるね」
私はやはり、芝居や映画がらみでないとそういう顔にならないらしい。