秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

母校への誇り

明日は私たち学年が中心になって担当幹事をやる東京同窓会。例年参加者の減少にあったのが、今年は、いろいろ工夫したかいもあって、参加者は駆け込みも入れて80名を越えた。
 
参加者の数などどうでもいいことだが、今回はいつもと違う趣向をこらした。とはいっても大仰なことではない。
 
長く返信用はがきで簡単に出欠確認していたものを封書案内に戻し、返信はがきを入れた。そこにいろいろなコメントが書いて戻ってきている話を以前、このブログでもした。
 
今回は、その中で、欠席連絡をいただいた大勢の方のコメントをすべて会場に掲示する。私が3~4行ほどの返信のコメントを読んで感じた、それぞれの東京での生活といまとを参加した方にも感じてもらうためだ。前にも書いたが他界された方のご家族からのものもある…
 
学年の近い方や同窓生のみなさんは会場で会えなくても、その自筆のはがきの文字をみれば、いろいろと胸をよぎるものがあるだろう。また、介護や老後の大変さや健康不良を悩みとする世代ではない人たちにも、去来するものがあると思う。

これまでパンフレットには参加者の一覧を載せていたが、それもやめにした。代わりに、そのたくさんのはがきの中の印象深かったものを掲載した。

ただただ、いのちと人生を感じてほしかったからだ。
 
旧交や旧知を温めるのなら、別に同窓会ではなくてもいい。あえて連絡を取りあうこともない関係なら、それより、より身近で大事な関係が生活のいまにそれぞれあるはずだ。
 
それでもあえて、同窓会などという枠組を残すなら、そうしたものではない何かが必要だと思っている。
 
創立95年と伝統はあるが、いわゆる名門校ではない。かつてはそうした時期もあったが、私が進学した当時、学区に二校しかなかった県立高校の県下屈指の進学校筑紫丘にいけないが、並に学力のある普通の生徒が入る、どこにでもある地方県立高校だった。
 
当然ながら、強い愛校心や卒業後も続く交流や継承される伝統とも縁がなかった。また、それでいい学校だったと思う。ひとつの通過点としてある学校で、特段そこで何かが生徒たちの中の共同幻想として結実する伝統、名門校ではない。
 
いまにして思えば、それが母校の自慢できるところだと思っている。自由、いい加減、人生それぞれ…縛られるものがないから、次の人生の選択も幅が広い学校だったと思う。それでいて私たちの時代は、楽しかったw 生徒の好きなように学校をアレンジできたからだ。
 
そのせいかどうか…海援隊の千葉、中牟田、武田鉄矢や漫談の立川笑志、フジ女子アナの生野陽子などマスコミに登場している人間も少なくはない。何年か前にはそうした人間のひとりも登壇したらしいが、同窓会に参加するのに、ギャラを要求するバカはいらない。
 
こうした同窓会。じつは、今年で最後にしてもいいのではと個人的には思っている。一堂に卒業生が集い、大した母校愛もつながりもない世代同士が無理して集まる意味を私は見い出せない。
 
やるなら、同窓会ではなく、なにか別の意味を持たせた交流会にした方がいい。なつかしみたい人はそうすればいいが、なつさかしさは明日の糧にはなっていかない。大事なのは、いまをどう生きるか、そのために、こうした集いが何に役立てるかを考えるべきだ。
 
それこそ、私などは、福島応援学習バスツアーを同窓会でやってもらいたいくらいだ。その方が社会貢献で母校の名前を知らしめ、現役の生徒たちにも力を与える。
そして、それは母校への誇りにもなる。