秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

その問いを忘れてはならない

高齢者や女性、子どもの生活権、人権。あるいは、知的、身体的、精神的に障害をかかえた人々の生活権と人権。それを守り、確保することによって生まれる、社会参加と社会貢献の実現。
 
それを基本おいて、地域や社会を考えるということをこの国はずっと怠ってきた。

そこにあったのが、経済優先、物質的安定を基準に置く社会は、人々を大方、幸せへ導く…という戦後の幻想だ。
 
戦後から現在に至るまで、オレたちはそう思いこまされてきたし、現実に、その恩恵を受け、経済優先の暮らしの中で、それまで手に入れることのできなかった選択の自由や選択の多様性、そして、自らの生活の選択の自由と自由であるがゆえの多様性と流動性も確保してきた。
 
しかし、結果的にそれが地方からの人々の流出を生み、若年層の受け皿の生み出せない地域にしていった。都会においても、富の格差が広がり、若年層の就職難をはじめとする、生活の不安定化は落ち着くところがない。
 
人々の生活権や人権の保障、社会福祉の充実といいながら、その実、生活権や人権の保障を必要とする人々を社会から隔離し、簡単にいえば、納税できる人であるための社会参加や社会的自立の支援をまったくやってこなかった。

そして、ここにきて、そうした国費負担を軽減するためのカッティングオペレーションが当然のことのように行われている。自民党憲法改正草案にある人権の制限と社会福祉の公共性への転換は、これを意図した考えだ。
 
いまや地方の中ですら、見捨てられかけている地域がある。高齢化が進み、限界集落へ向かう歩みの中で、それを踏み留めるための施策はなく、あったとしても成功するか否かの保証もないがゆえに、地域的なお荷物にされ、具体的な対策はなにひとつ実施されていないところが多い。
 
SmartCityへの協力要請で訪ねた、あるメンタルケアの会社で、社長のMさんから仙台で知的障害を持つ人々が調理をやるレストランを自立支援事業としてやっている経営者の方を紹介された。
 
ランチしか営業していないその店は、向こう何カ月も予約がとれないほどの盛況。Mさんもそこにいったが、じつにメシがうまく、特徴的なスイーツもあって、これはすごいと感嘆したらしい。つまり、お情けで来店がとだえていないのではない。よそでは食えないうまさなのだ。
 
経営者の方がいった。「社会福祉助成金を受けるだけの支援であってはいけない。これまでの福祉施設で、納税者になれるところまで自立支援をしたところはなかったんです」

その言葉を聞きながら、いま被災地で助成金補助金だけを当てにし、血税を使うことの責任意識も、それゆえの事業の明確なビジョンや計画もないまま、とりあえず、事業予算をもらえれば、新しいことをやれれば、いま儲かれば、という考えだけで進んでいるさまざまな話を思い出した。
 
また、土地も仕事も生活も奪われ、気力をなくし、精神的に参ってしまって、次を生きる気力を生み出せていない人々の話が頭をよぎった。

言い方はきついかもしれないが、マーケティングとはほど遠い、策謀をめぐらし、ここぞとばかり、ばらまかれる復興予算を食い物にする輩も、そうしておけば、かっこうがつくと考えいてるゆるい行政も、それが国民の血税であるという意識はないに等しい。

それは同時に、数年後には優秀な納税者たらんという責任意識や地域全体の自立への貢献という意識もないと同じだ。自分たちさえ、うまくやれればいい。その腹しかない。
 
復興予算も底を突き、当てにしていた助成金や保証や支援金がなくなったとき、それを許した側も、許された側もすでに自らの知恵と力で歩み出す力を失っていることだろう。
 
規模や力の大きさではなく、地域にある人材や隠れた魅力…そうしたものを本気で掘り起こす精神とそれらをつなぎ、地域の連携による総合力を生み出すことだ。そのための助成金や支援金なら、それが次の時代の力にもなり、人々から、国民からまちがないく、圧倒的な支持をえられる。
 
支持をえられる取り組み、活動とはなにか。自分たちの取り組みはそれに合致しているのか。その問いを忘れてはならない。