秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Donationの文化のなさ

何事につけ、ビジネスでやるのか、社会貢献でやるのか、そのけじめはきちんとつけなくてはいけない。
 
よく、社会貢献を維持するために、ビジネスは必要だとか、収益がなければ継続的な社会貢献事業はできないというウソつきがいる。だったら、社会貢献や社会奉仕にかかわる仕事を生業、成業としなければいい。そんなウソはつかなければいい。
 
単純に商売、商人、ビジネスマンとして、ただただ収益を得るためだけの事業をやればいいのだ。そこに、美辞麗句や社会正義を持ちこむ詭弁は使わないことだ。
 
社会貢献事業のプラットフォームに乗って、ビジネスをやるなら、プラットフォームとなっている社会貢献事業に寄与しているような人を欺くふるまいはしないことだ。
 
そうしてしまうのは、社会貢献という詭弁を使って、助成金や支援金を行政や人々から金を集めたいからだけのこと。つまり、社会貢献のためではなく、自分の生活のために金を集めたいだけのことだ。

そういう団体や人というのは、経理や使途の明細があいまいで、経費の使い方がいい加減と相場が決まっている。人の税金や預託金という意識がないため、まるで自分の金と思うから、でたらめになる。

収益金をすべて社会貢献に寄付するというのなら別だ。利益は一円ももらわず、経費と最低限の生活費だけをいただきますなら、まだわかる。
 
だが、そうなると、今度は、その社会貢献に寄与した団体、個人として名を知られたいという売名を求める。そして、それを商売のネタや売りにする輩が出てくる。

海外、欧米では当り前のことが、この国はどうも社会貢献や社会奉仕となると、ドネーションが育っていないため、すぐにビジネス的なるものにすり替えていく。
 
ビジネスを育てるための貢献はいいが、自らがビジネスに手を染め、金を得よう、かき集めようとするのは本末転倒。

9.11の翌年の5月、イラク戦争前、私は、ロスとニューヨークの市民放送局と市民新聞を取材した。合わせて、9.11遺族会でつくる反戦市民グループ Peaceful Tommorowの代表メンバーのひとりにインタビューのために同行取材した。

また、国内では、世界の紛争地や被災地での支援活動を何十年もやっている、JVCやJEN、曹洞宗のシャンティボランティア会などにも取材協力してもらった。

海外にあったのは、市民の寄付や団体からのカンパを受けて、60年もの間、どこのマスメディアにも帰属せず、市民討論と意見交換、そして、シンポやデモなどの社会行動を行っている団体とその数の多さだった。
国内で縁を持たせてもらった団体もビジネスにすり替えていない。
 
もちろん、出版事業などの活動運営を維持のための事業もやっているが、それらはすべて、放送や新聞発行のために使われている。生活費を受給する専従者もいるが、それは人並みに生活できる程度のものでしかない。
 
その他の多くは生活のための仕事を持ちながら、インターンとして、参加できる時間でボランティアで支えている。

それでも、ロスのKPFKは戦後まもない頃、ワシントンポストの記者がもう二度と第二次世界大戦の悲劇を繰り返してはならないと発足して、60年以上続いているのだ。決して、ビジネスにすり替えなくても、維持している。

確かに、この国、この国の国民には、ドネーションの意識が根付いていない。最近になって、WEBを使ってそうした資金を集めるしくみも生れてきてはいるが、明らかに海外に比べれば、まだまだ、それはないに等しい。選別眼も育っていない。

金がないなら、ないなりの活動の仕方がある。金を始めに置かなければ、金がなくてもやれることはいくらでもみつかる。支援や社会貢献、奉仕は、なにかを与えることではない。

金がないなら、労働で、知恵で、本業で培った技術で、何かを果たせばいい。そのプロジェクトの恩恵を被る者も、提供する者も、同じ立場、同じ意識で、組み合えば、それが本当の支援、自立を生む。自立へつながらない、支援は支援とはいえない。

そこには、売名も詭弁を使い、おいしいところだけをかすめる輩は入る余地はない。
自ら血を流さずして、支援も自立も、そのために必要な人々からの信頼も得られはしない。