秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

そこから始めてみえてくる

日本人というのは、議論がうまくない。はっきりいえばヘタだ。
 
テレビの報道番組や政治討論の番組をみていても、また、現実に、いろいろな政治家と会話をしていても、この人は話がうまい…という人とはほとんどあったことがない。
 
バラエティなどで頭の回転すばやく、ジョークやしゃれの応酬ができても、それは議論のうまさにはつながらない。会話を楽しむうまさでしかないからだ。
 
もちろん、議論というのも会話のひとつの形態。だから、そこに議論を楽しむというゆとりや緊張をはずす巧みさも必要。だが、軸となる、議論の展開力がないと、生産的な議論や新しいものを生み出し、実行につながる議論は生まれない。
 
議論のうまさ、ヘタさというのは、言葉の豊かさと関係がある。つまりは、知識の深さや広がり、インテリジェンスの高さだ。しかし、それをつくるのは、同時に、心の豊かさでもある。
 
ただやみくもに、自己の主張の正しさばかりを語ればいいのでもなく、また、杓子定規にテーマに直結する話ばかりすればいいのではない。
 
相手の考えに、共通項をみつける努力とゆとりも必要だし、テーマとはすぐにつながらないが、別の角度や違う視野からその問題を見つめる目を提供し、自論の判例、事例、証左として、それを使うという巧みさもいる。
 
場合によっては、聞く側に徹して、どこを突けば、議論がこちらが思う方向へ舵を切るかを値踏みする胆力もいる。また、時には、あえて相手の話を折ることで、自覚させなければいけないこともある。

昨日、BSのリーダーの選択をテーマにした歴史ドキュメントと分析討論番組で、あの東郷平八郎をとりあげていた。勝利すべくして勝利したとされる日本海海戦が6割は天運にあり、旗艦三笠の船内で東郷の心が揺れに揺れていた現実を描いていた。
 
海戦までのわすが数日の間に行われた参謀会議の議論をどう制し、議論に参加した者たちのモチベーションを維持しながら、最良の選択にたどりつくか…最良の選択をするために海戦のはるか前から準備されていた海底ケーブルの敷設など東郷の繊細さも紹介していた。

まっとうな議論とそれを牽引でき、決断を下せるリーダー…。日本海海戦から40年後、日本は、そのすべてがない中で、勝利幻想のまま太平洋戦争という無謀な戦争に突入する。
 
そしていま、人々の思考の世界、議論の世界は、せいぜい家庭のこと、会社のことといった、自分の暮らしの小さな世界に閉じている。それはそれで必要で、大事なことだ。
 
だが、その思考の世界、議論の世界を成り立たせているのは、地域全体の問題であり、社会、国、そして世界の問題なのだ。いまこの国は家庭や自分の生活の議論と社会、国、世界の議論とをつながりを持って考えられなくなり始めている。
 
自分の生活の議論を地域や社会、国、世界の議論の場に持ちこみ、矮小な世界からしか世界をみれなくなっている。いや、地域や社会、世界のことを考えることさえ希薄になっている。

それはまるで日露戦争がじつは敗北ギリギリの戦争だったという事実を忘れ、世界の大国と錯覚した中で、少年期を生きた戦争を知らない子どもたちが、巨艦軍艦主義に陥り、世界の現実を知らないまま、自分たちの生活の議論をそのまま世界に持ちこもうとする無知さに似ている。

自論が正しいではない。自論に過ちがあるかもしれない。そこから始めて、世界は見えてくる。そこから始めて、家庭や地域、社会のあるべき姿がみえてくる。