秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

騒がしい

東京は都議会議員選挙で騒がしくなっている。参議院議員選挙の前哨戦ということもあるだろう。だが、選挙のたびに、騒がしいというのはどうしたものか…

渋谷、新宿、池袋、秋葉原、新橋…といったところには各党党首が繰り出し、参議院議員選挙をねらって、国会議員たちも東奔西走する。

選挙というのものはそういうものだといってしまえばおしまいだが、できるだけ多く、候補者の名前を人の目と耳にふれさせ、できるだけ多くの人に党派の議員や党首のポスターや顔にふれさせたい…そうした選挙の姿とはいかがなものか。
 
確かに。人への刷り込みの基本は連呼であり、反復。これは教育や啓発の基本でもある。しかし、連呼の向こうにある内実や中身がどうなのかを公示から時間がないからとふっとばすような選挙であっていいはずはない。

ふっとばすだけならいいが、他党の批判や反勢力への批判に口角泡をとばし、自分こそが、自分たちこそがとオレがオレがの連呼は、品がない。品ながいどころか、騒音だ。

そもそも、ほんのわずかな期間の街頭演説などで、自分たちの政策やビジョンが伝えられるわけはない。ほとんどが地元地盤の支持者を中心に動員をかけ、にぎわいを演出し、自分たちの気勢を上げるためだけにやっている。
 
普段から支持者ばかりではなく、広く地域市民の集まりに参加し、参加するだけでなく自ら市民集会や意見交換会を開き、反支持者の声にも、支持者の声にも同じように耳を傾け、ときには、じっくり考えの相違や思いの違いを語り合い、地域の人たちにまみれるということをやっていればいいことだ。
 
自分の考えに反論異論を投げかける言葉にも学ぶことはある。また、同調者といっても、なんの疑念もなく、同調している人には、ほんとにそれでいいのかと投げかけることも必要なはずだ。
 
政治を選挙まつりや人気取りゲームにしないためには、政党、政治家自らがそこに立とうと決意しなくてはいけない。そしてまた、市民も選挙合戦を楽しむ傍観者になってはいけない。
 
あげくの果てに、支持する政治家たちを少し知っているだけで、政治をわかったような気になり、政治家に頼み事というたかりを繰り返すようでは、地に落ちる。
 
だが、残念ながら、そういう人たちがいまの選挙を支えている。投票率が伸びないのも、そこに理由がある。くさったおやじとおばさんが支える選挙。そんなものに、若い奴らが魅力を感じるわけはない。