秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

夜明け前

年3回の舞台公演をやっていた頃、いつも上演のための資金づくりに苦労していた。
 
いまでは出演する役者にチケット販売のノルマを課すのが当たり前のようになっている。オレが舞台をやっていたときも、ノルマではないが、役者が必死でチケットを売りさばくという状況が普通にあった。
 
確かに。スタッフなど裏方や制作がいろいろな伝手をつかってチケットを売るより、出演する本人が売る方が、枚数ははける。
 
お前がでるなら…。うちの子がでるなら…。あんなに一生懸命やっているが、小さな劇団で苦労してるから応援してやるか…そんな情に訴えるのに、役者本人ほど説得力があるものはない。

しかし、うちの劇団は学生劇団から卒業する頃から、俳優のチケット販売は一切禁止にした。俳優の縁者や関係者に売りたいときは、制作部のスタッフが連絡をとり、チケットと金銭の受け取りをやるようにさせた。

当然、学生演劇のときほど、チケットは捌けなくなった。だが、俳優がチケットを売りたいといったり、こそっり売っているとわかると目玉が飛び出るほど叱りつけたものだ。
 
理由がある。
 
俳優というのは人に夢を売る仕事でもある。女優であれ、男優であれ、どこかで、あんな女を抱きたい、あんな男に抱かれたい…そういう憧れを抱かせるものでなくてはいけない。

あるいは、ファンになりたい、応援したい、また見たい、会いたい…そう思わせる存在でなくてはいけない。
 
それでいながら、舞台の演技に魅了され、簡単に口がきけない、声をかけられない…そういうオーラを持てなくてはいけない。
 
そうしたものを育てるのは、俳優としての誇りであり、矜持であり、また、演技力やアーティスト、アスリートの技量を磨く日々の鍛練があるからだ。人にそう思わせるには、思わせるだけの心の構えがいる。体の鍛錬がいる。
 
俳優がそう思わせなくてはいけない観客に、日常の顔をさらして、頭を下げ、チケットの購入をお願いする…というのは、だから、明らかにおかしい。俳優の品格を自ら投げ出すようなものだ。
 
それを当然としている、いまの芝居。だから、おもしろくもおかしくもない。
 
よくできた芝居、よくできた映画というのはスターシステムにのらなくても、上演すると口コミで客が増える。初日、二日目と客が少なくても、楽日になると立ち見がでる…というのがいい舞台なのだ。
 
観客は正直。それがコメディであろうが、シリアスなものであろうが、アヴァンギャルドなものであろうが、その内容に応じて、それにふさわしい客が口コミで集まる。
 
仮にスターシステムで有名俳優を看板していても、いい舞台でなければ、観客動員は伸びない。最近はアイドルが登場して舞台機構を派手に使う芝居も出ているが、決して後世に残る舞台ではない。映画も同じ。
 
堅実に、確実に、確かな観客を一人、二人とふやしていく。それは手間もかかるし、演じる側、つくる側にも忍耐と努力、そして、意志を確かめられ続ける。つらいし、しんどい。しかし、それがいい芝居、確かな作品であれば、結果は必ずいずれ現れる。
 
実は、SmartCity FUKUSIMA MOVE、それにリンクさせるMOVE放送局がやろうとしていることは、これと同じことなのだ。

夜明け前…夜が明ける直前ほど、夜は一番深い。