秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

市民の思いと直感

盂蘭盆会の法要で被災地を見聞し、感じたことを踏まえて、何か話を…。先のばししていた原稿を朝から書く。
 
予定していた午前中、午後の集まりをキャンセルして、3時過ぎにとりあえず初稿。それをもって、芝へ。ブティスト仲間の会議と暑気払い。田町近くのチェーン居酒屋で夕方5時過ぎから7時過ぎまで。

暑さもあって、ビールに、生サワー、角のロック。昼飯を食べる時間もなく、原稿を書いていたから、珍しく出されたものを食べて、膨れているおなかがますます膨れる。

オレがいわき市や被災地を回り、この夏にちょっとしたイベントをやろうとしていることも知られていて、その話題から、原発事故への対応や復興の遅配についての話になる。
 
民主党ばかりを責めるわけではないが…と民主党批判になりながら、同時に、かといって、自民党でいいという気にはさらさらなれない。政治への期待感は薄れているものの、自分たちの声が直接政治に届くようにはならないものか…
 
といった声が次々に起きる。みんなの党が港区議選挙でも議席数を伸ばした。いくところのない票がそこに流れている。しかし、主要会派をつくるまでの議席を獲得しているわけではない。つまりは、すべてをゆだねられる政党としては、まだ認められていないということだ。

いまこの国は政治の世界が国民、市民の生活意識や直感から大きく遠ざかっている。
 
市民の中には、政治家や既存政党をあてにしても、どうにもならないという空気が無党派層に広がっている。組織政党である自民、民主が補欠選挙や地方選挙をやっているが、結局、これまで政党を支えてきた票田の中だけでのこと。そこに無党派層は参加していない。
 
政治を大きく動かすのは、だが、この無党派層だ。民主が驚異的に議席を伸ばし、政権交代をとりあえずやれたのも、この無党派層の期待感があった。
 
あのときと市民感情無党派層のマインドは大きくは変わっていない…とオレは読んでいる。票田の力、古い政治のしきたりや因習、慣例。そこの枠の中だけでやっている選挙と政治家の誕生に市民は飽き飽きしている。
 
自分たちの声がダイレクトに届く政治をやってくれるのでは…かつて民主党に期待したその思いは変わっていない。
 
政治が流動化しているが、そこには大衆の支持をとりつけられる新しい基軸がないことが大きな要因。ひとつ、柱がみつかれば、流動化していた政治は一層流動し、政界再編のうねりが加速する。
 
それには、圧倒的に市民に支持される新しい政党が誕生してこなくてはいけない。政治的には弱くてもいいのだ。それは、鞍替えしてくる政治家たちを利用すればいい。
 
次の衆議院議員選挙までにその萌芽がなくては、市民の思いと直感を政治に反映するチャンスはより遠のく。